ノースウエスト・アース・フォーラム

鍋倉高原

パート2

2007年8月23日に開催されたNEWフォーラム西沢農場の枝豆取りのパート2が2008年9月10-11日、鍋倉高原森の家で開催された。 北組の参加者は川上、清水(浩)、北沢(栄)、畑中、西澤、土屋、グリーンウッド氏の7名。西組は三ツ井、一戸、碓井(須坂市)、奥田(長野市)の4名である。地元の参加者は坪根さん、飯山市役所の職員山崎さん、足立正則副市長。

9月10日(水)

・ 集合時間:14時30分、
・ 集合場所:鍋倉高原「森の家」(Hotel Serial No.354
・ 枝豆取り:15;00〜16;00
・ 湯滝温泉入浴:16;00〜17;30(車で移動、往復時間約30分)
・ 夕食・懇談:18;00〜20;00(屋外でバーベキュー)

グリーンウッド氏はハーレーダビッドソンのソロツーリングで参加。西沢農園の枝豆はまだ未熟であったので坪根さんの畑の枝豆を少し分けていただく。湯滝温泉で汗を流し 、18:00より飯山市の副市長を交えてバーベキューパーティー。足立副市長から「ふるさと飯山応援金」への応募の依頼を受ける。手順は寄付をして寄付の控除を受けるということのようだ。詳しくは飯山市のホームページ。

グルッポ・セラ・グルッペ山塊周辺 見取り図

平成26年に北陸新幹線の飯山駅が開業する(長野→飯山→上越)ため、飯山の今後の発展が期待されている。野沢温泉村との合併は野沢側が嫌って出来ないそうだが、行政区分とは別に飯山、野沢温泉、奥志賀、志賀高原を一体化してドロミテ・アルプスのグルッポ・セラ・グルッペ山塊のような巨大なスキー場にし、アジアのスキー客を集めるアイディアを副市長に提案する。しかし副市長殿はアルプスほど迫力がないのでと首をかしげておられた。

1973年にアフガニスタンの王政が無血クーデターで倒されるという政変が発生したとき、朝日の記者だった川上氏が期限切れのビサを持ってカイバル峠にでかけた。あわよくば国境をこえてアフガニスタンに潜入し、スクープを物にしようとしたのだ。しかし見破られて果たせず、カイバル峠にてと署名した記事をパキスタンのペシャワールから本社に打電した ことがあるという。なつかしそうに目を細めて語る。ローマ字で記事を書き、それをパキスタン固有のアルファベットに書き直したものを打電するのだそうだが、日本語になった記事はほぼ原文通りだったそうである。

9/11テロを引き起こしたアルカイダ討伐のために米国がアフガニスタンに侵攻したとき、イタリアに亡命していたくだんの王様がのこのこ出てきて、まだ存命であったのかと驚いたという。

そのころはグリーンウッド氏はロンドンに駐在してアラビア湾のド真ん中の島に建設する天然ガスの液化工場の設計をしていたのだ。お互いに油の乗っていた頃だと思う。

ロッジにもどってからは本フォーラムの代表の西沢氏が日本の農業を救うために補助金を全農家を一律に配布するという民主党の政策に類似した提案をする。

早速、土屋氏がグローバル化時代に農業に補助金をばら撒くなどアナクロであると反論。日本は工業製品を輸出しているのだから見返りに食料を輸入しなければ国際的なギブアンド・テークが成立しないと反論。

最近は世界の工場は中国にとって代わられたので日本は1980年代のようなギブアンド・テークは気にすることはないとグリーンウッド氏は言う。

軍医の父をガダルカナルで失い、敗戦時、母と満州から着のみ着のままでひもじい思いで引き上げた経験を持つ清水氏は有時のために食料自給率を高めておかなければいけないのではという。

余剰穀物を輸出するために補助金を出すことはWTOの禁じ手である。国際的に合法的な補助金の使い方は減反政策をやめ、水田を復活させて離農者を減らすために余剰米をエタノール 化するという欧米諸国がおこなっているやり方があるだろうと愚考する。有事にはエタノール生産をやめれば食料が確保できるので国家の食料安全保障となる。

ただ93年のウルガイラウンドで輸入米に778%の関税をかけているわけだから、エタノール化して自動車燃料にするための補助金は半端なものではなくなるだろう。高関税 を課す見返りとしての消費量の10%に達するミニマムアクセス米の輸入義務もあるのだ。これは失政だろう。重点的にならまだしも農家に一律補助金をばら撒いても農業で生活できずサラリーマン化してしまった零細農家を帰農させることは手遅れであろう。彼らは自ら耕作放棄した農地はもはや転売する資産としてしか認識していない。だから農業に補助金をばら撒いても無駄金になる宿命であろう。

国際的な資源争奪戦でエネルギーコストと食料コストが高騰し、エネルギーと食料の輸入額は26兆円となり、自動車、電子部品、鉄鋼の御三家の輸出総額とほぼ同じ水準になっている。それに円は米ドルにリンクして下落しているため、日本の今後に暗い影を のばしている。

食料が更に値上がりすれば自然と農業の魅力が増して若い世代が手をそめるであろう。しかし化石燃料はどうしようもない。農業支援も有効ならしたらよいが、世界に売れる魅力的な技術製品開発できるすぐれた人材の養成とそのような人材が力を発揮できる社会を作らないといけない。こうして売れる工業製品を 輸出して高騰するエネルギーを購入し続けなければ国家破産が待っているのではと不安になる。いずれ安価なソーラーセルが開発されるときがくれば、化石エネルギーを輸入しないですむ 。そうなれば無理して工業製品を輸出しないでもよいのだが。この辺りの海外の技術革新が気になる。

三菱重工にいた畑中氏は海軍の仕事をしていた技術者達は陸軍の仕事をしていた技術者たちより優秀だったことを披露する。陸軍は戦車以外は三八歩兵銃くらいで技術を磨くチャンスがなかったのだ。

畑中氏の話を聞いて1978年ころ、ロンドンでの経験をかわれたグリーンウッド氏が三菱重工の長崎造船所のエンジニア達に協力してイランのカンガンガス田のガスを液化して新潟港に荷揚げして発電に使うプロジェクトの基本設計をしたことを思いだす。このプロジェクトはしかしホメイニ革命でついえた。

碓井さんが自治労の専従職員だったことを聞いた川上氏が氏より優秀だった弟が自治労の研究所で研究者として一生を送ったことを披露した。 川上氏は小池百合子にだけは首相になってほしくないという。理由は単純で川上氏が朝日のカイロ支局長だったころ、カイロにあった日本料理屋の娘が小池百合子だったことを知っているからであるという。カイロ大学での成績もいまいちだったという。

一戸さんが、北高卒業生の女性に対する偏見を正す発言をすると、北高側からかなりの反論があった。グリーンウッド氏はやはりその反論は残念ながら偏見に満ちているとコメントする。

こうして夜は深々とふけるのであった。

9月11日(木)

6:30〜7:30ロッジ周辺のぶな林を散策しながら森林浴。

散策   一戸氏撮影

虫害でブナ林が赤く枯れはじめている。ブナの巨木の下には育苗用ドングリ受けを設けてブナ林を育てる意向が見て取れる。

ブナの育苗用ドングリ受け

朝食:8:00〜8:45、 森の家の前で記念撮影。

森の家に全員集合

9:30出発。 車を連ねて県道95号を登り、関田峠(海抜1,113m)を越えて新潟側に入り、光ヶ原牧場、光ヶ原森林公園を訪れた。しかし薄曇で高田平野、妙高山、日本海などの景観を楽しめなかった。

過去、千曲川沿いの飯山市しか知らなかったが、千曲川の支流の広井川に沿った樋状の窪地に開けた水田地帯は美しい。

小学校唱歌の「故郷」、「紅葉」、「春の小川」、「春がきた」、「朧月夜」などの作詞者、高野辰之の記念館(中野市TEL;0269-38-3070)に立ち寄ったのち、グリーンウッド氏は皆と分かれて、赤倉温泉の「ホテル秀山」(Hotel Serial No.162)で開催される石原隊のミーティングに向かった。

残り全員は小布施町、市村酒造併設和風レストラン蔵部(TEL026-247-5300)で昼食後14:00頃解散。

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September 23, 2008

Rev. March 15, 2010


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