ノースウエスト・アース・フォーラム

川上書簡

3. 英語と鉄道

英国のインド支配が遺したのは英語と鉄道とよく言われる。鉄道はそのとおりだが、英語についてはいろいろの事情がある。

ある時、パキスタン人の一人の医師が「先日、国際医学会で日本人医師と話そうとしたら、彼は少しも英語がしゃべれなかった。日本では英語が話せなくても、医師になれるのか」と私に質問した。これは、インドの英語教育について、多くのことを物語る。医学に限らず、大学教育はいまでもすべて英語で行われていいるのだ。日本では、英語が話せなくても、高等教育を受けられるのだ、と説明しておいたが、彼には想像のつかない世界のようだった。

後年、ジュネーブ特派員、ニューヨーク特派員時代に国連を始め国際機関の報道に携わったが、インド人職員は不適切なまでに多かった。インドのインテリは,自国の低賃金と快適でない生活環境を嫌って、国外で働きたがる。その際、英語が強力な武器になっている。日本は国連分担金だけは世界第二位の額を負担しながら、英語の壁にさえぎられて、いまだに国際機関の職員の数でも、インドに及ばない。

インドの英語は、英国人に強制されたものというよりは、インド側にもそれを使わざるを得ない事情があった。ここが朝鮮半島で日本語を強制して、いまだに深い恨みを買っている日本の場合と違う。(もっとも、日本の韓国「併合」と英国のインド「支配」は、国際政治上も、国際法上も別のものなので一概に論じられないが、ここではそれには立ち入らない)。

インドには200種類の言語があるといわれる。インドのルピー紙幣にはいまでも、そのうちの主な14言語が印刷されている。つまり、過去も現在も、インドには全国共通の言語というものがない。

言語人口の一番多いのはヒンズー語だが、それとて国民の半数にも満たない。英語は、広いインドで唯一の共通語である。何百年来、お役所も、会社も、書類はすべて英語が主流である。

インドで、英語の読み,書き、話すが完全にできるのは人口の一割と言われる。分母が大きいから、絶対数では、1億人になる。その下に、都市部の商店主からタクシー運転手や、とにかく英語で用の足りるひとたちが相当数いるので、インド人はみんな英語が通じると、日本人は思ってしまうが、そんなことはない。

インド人の英語には悩まされた。巻き舌で、早口(とこちらの耳には聞こえる),癖のある英語は日本人には聞き取りにくい。最初は、まったく聞き取れなかった。ドイツ人の英語のほうがはるかに聞き取りやすい。だが、記者会見などでインド人の英語は英米人に対してはもちろん、国際的に立派に通用しているのだから、やはりこちらの負けである。

ある時、もう親しくなっていたパキスタン人のお役人が、私が手書きで書き込んだ提出書類を見て、「日本人はアルファベットの文字が下手だ」といった。それには英語が下手だという意味もこめられていた。私は「あなた方は長年英国の支配下にあったから、英語ができるのだ。われわれ日本人は、外国の植民地になったことはないので、別に外国語ができなくても困らなかったのだ」とやりかえしてはみたが、やはり、できたほうが良い、とは今でも思う。彼は、日本が第二次大戦中、チャンドラ・ボースを中心としたインドの対英独立闘争を親身に助けたことも良く知っていた。第二次大戦のビルマ戦線で日本軍が相手にした英軍は、正確には英印軍と呼ばれるように、指揮官は将校だった(映画「戦場に架ける橋」)が、大多数の兵卒はインド人だった。支配者英国によって、日本と戦うことを強いられただけで、日本に敵対心をもっていたわけではない。

だが、インド人嫌いの日本人は多い。自国の大多数の極貧の民衆のことなどは眼中にない大国意識、ビジネスや政治上の国際場裏での押し付けがましさ、自己主張の強さ、さまざまな理由はあろう。かなり筋違いではあるが、「あんたの国に行くと、日夜乞食に付きまとわれて、閉口する。あれを何とかしてから、大きな口をきいてくれ」といいたくなる。少し一方的な言い方になるが、印パ戦争も中印紛争もそうだし、ネパール、ブータン,バングラデシュなど周辺諸国に対しては大国意識丸出しだ。核武装も然り。

だが、日本との関係はおおむね良い。遠く離れていて、喧嘩するほど親密ではなかったといこともあろう。お釈迦様の仏教を生んだのはわが国、など言うことも、インドは声高には言わない。日本人観光客にはそれなりに仏教関係のサービスもしてくれるようだが、やはり、インドはヒンズー教の国である。勝者である連合国が日本にリンチ(私刑)を加えた、国際法違反の東京裁判で,独りインドのパル判事が正論を吐いた(伝えられるほど、感情的に日本擁護だったわけではないが)のは、日本ではよく知られている。われわれの少年時代、米軍の空襲に備えて日本の動物園は、象をみな殺してしまったが、戦後いち早く日本に象をプレゼントしてくれたのはインド首相ネルーだった。知日派のインド人は「わが国の日本への最大の贈り物は、「紅茶とカレー」という。

(ここでまた紙数切れ、失礼長柄次回

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March 2, 2010


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