ノースウエスト・アース・フォーラム

川上私記 回想のアフガニスタン

カイバル峠

      ペシャワルで息つく暇もなく、カイバル峠に向かう。外国援助のアジア・ハイウェイ計画で造られた幹線道路は舗装はないながら幅広く、大きく緩やかにカーブしながら、峠を登った。見渡す限り一木一草ない。砂と岩の褐色の世界だ。遠くに、時々鉄道線路が見える。おそらくは英国がインド統治時代に敷設したものだろう。内陸国アフガンへの物資はカラチで荷揚げされ、この鉄道と、今私が走っている道路をトラックで運ばれている。多分一日に一本走るか走らないかの貨物列車は見えなかったが、時に大型トラックが轟音を響かせ、砂塵を巻き上げながら通り過ぎていく。その昔、ここまで来たアレクサンダー大王の東征軍はこの峠をどうやって越えたのだろうか、などと思う。

      峠が近づくと、沿道に日干し煉瓦の建物がいくつも現れた。乾燥地帯特有の窓が小さい。運転手の話では射撃用の窓でもあるらしい。今にも銃口が覗こうかといった感じたたずまいだ。実際このあたりはごく普通の男、時には少年まで当たりまえのように銃を肩にかけている。この幹線道路の沿道に、「危険だから外国人は午後4時以降は通行しないように」と看板が立っていた。

     峠の国境に遮断機が降りていた。あたりに誰もいないので100メートルほど先の検問所に向かって歩く。まさか不法入国でいきなり射殺されることもあるまい。遮断機をくぐる前に、運転手に「オレが検問所から出てきて、腕で大きな丸を作ったら入国OKだから、お前さんはラワルピンディに帰ってくれ。それまではここで待っていてくれ」と言い置いた。検問所、入国管理事務所といてもよいだろうが、小さな建物には質素な民族衣装の若い係官がいた。文盲率の高いこの国の国境の役人がビザの期限切れを見逃すことを内心願ったが、さすがにそうはいかない。パスポートをつき返された。万時休す。もっとも有効なビザを持っていても、国の緊急時に得たいの知れない外国人を通してくれたかどうかわからない。まして職業を言ったらまず無理だったろう。そう考えて自らを慰めた。

    この国境の検問所はいわばアフガンの玄関だから外来者にとっては一大関門だが、一帯の険しい険しい山にはロバやラクダがやっと一頭通れるほどの間道はいくらでもあり、地元住民はかなり自由に行き来しているらしい。ここから北東に伸びる国境線を挟んで古来すんでいるのが、パシュトウーン民族で、彼らにとっては国境などと言うものは近世になってから、インドを統治した英国が勝手に、彼らの生活圏の真ん中に線引きした挟雑物に過ぎない。地元住民は国境など半ば無視して暮らしている。

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March 14, 2010


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