東京農工大シンポジウムに参加して

中央集権から地方分権への狭間で

2003

 

2003年11月「100年先から見てみよう」というシンポジウムに参加して考えることがあったのでまとめてみよう。

増田岩手県知事の指摘する「地方行政府は長い間、徴税権もなく、中央官庁が用意する補助金をどう分捕ってくるかに力をそそがざるを得ず、全国一律の、どこかで見かけた温泉、どこかでみかけたコスモスなど、地方の特色を持たない箱物行政に陥って、観光客にもそっぽをむかれ、間尺に合わないプロジェクトを立ち上げかえって負債を積み増し、ジリ貧となっている。いまのままでは、地方はますます衰退するばかりである。はやく彼らに徴税権を与えてその使途はみずから考えるようにしむけるべきである」はその通りで、時間はかかるが日本の統治体制は中央集権から地方分権に移行してゆくだろう。

しかしまだ積み残された問題も垣間見えてくる。それは2004年に独立行政法人化する国立大学とNPOも地方自治体と同じく政府の補助金に依存せざるをえなくなるからである。

教育は国家事業だから、政府が教育費を負担することは問題ない。しかし大学は研究の場でもある。研究費を確保して次世代のためのブレークスルー技術を開発するという社会の負託に応えなければならない。日本が技術を欧米から導入し、学問も並行輸入していた時代は終わり、産官学が連携して日本独自の技術体系を生み出さなければならない時代である。そこで問題になるのはこの研究費の国家予算配分をどうするかという仕組みが問題となる。

技術開発の国家予算が中央集権になっていると、地方自治をゆがめたと同じ弊害がでてくる。中央官庁のなにもわからない文官が作成する予算項目はどうしても、既に成功している技術体系に集中しがちで、まだ誰も知らない革新技術は無視されてしまうという問題である。

研究者は政府の補助金の対象になっていない新規技術に興味を持っても金がなければなすすべがない。どこかの地方自治体のように中央の役人が取り上げた「昨日の技術の再現」に血眼になり、何も新しいものは生み出さないという過去繰り返してきたことが今後も継続されるわけである。この研究費の配分の仕組みが変わらない限り、国立大学を独立行政法人化しても何も解決されないだろう。

国家100年の計は誰がたてるのか。欧米では政治家が政策を作り、官僚は利権を排除しながら粛々とそれを実行することになっているという。しかるに日本では官僚が利害団体の陳情を聞いてパッチ当ての政策を作り、政治家が利権をあさりつつ実施するという構造になっている。まことに国家100年の計を誤ることになる構造である。

一般論は聞き飽きていると思うので個人的経験の中から産業界さえ動かせば国家戦略になるという1件を「誰も知らない技術」を取り上げるには無力である例1件をご披露しよう。

産業界さえ動かせば、国家戦略になる例は燃料としてのDME(ジメチル・エーテル)のことである。エンジニアリング企業にいた1987年頃、デンマークのT社がDMEをメタノール合成反応器内で脱水して安価にDMEを製造する技術の共同開発を持ちかけてきたことがある。メタノールより安く合成できるので自動車燃料につかえるのではないかというのである。LPGと同じく圧力容器が必要で、その普及があやぶまれたので、共同開発話には乗らなかった。しかしその会社は独力でがんばり、1996年頃には完成させた。他にも2社同じような技術開発をしたというので、もしかしたら燃料としての可能性があるかもしれないと考えなおして燃料としてのDMEの効用をOil & Gas Journal誌に投稿したり、海外の天然ガス資源を持つ国、米国の石油生産会社、日本の電力会社、商社、LPG販売会社、自動車会社、通産省などに働きかけてきた。2003年に至り、資源エネルギー庁の政策項目に載ったことをみると、民間が動けば我が政府でも6年遅れで思い腰を上げるということである。ただ残念なことに大学には声もかけなかったし、大学からの動きもなかった。大学がこれから研究項目に入れるか興味のあるところである。

「誰も知らない新技術」を取り上げるには日本政府のシステムは無力である例としてあまり適切ではないかもしれないが、森永晴彦元ミュンヘン大学教授の自己増殖型太陽電池のお話をしよう。ソーラーセルの自己増殖性はあることは判明しており。人類は原子力も化石燃料も失っても、ソーラーセル技術でサステナビリティーを維持できるということが言える。このソーラーセルの自己増殖性に目をつけられた森永晴彦氏がNEDOの補助金をもらうべく2回挑戦したが、要件を満たさないということで取り上げられなかった。やむを得ず、民間ベースで取り組むことにし、ヨーロッパの某国と話をしている。

広葉樹発電も「誰も知らない新技術」に属するので産、官、学が興味を持たないのだろう。

November 17, 2003


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