総合知学会

2011

 

2011年2月19-21日、 鬼怒川合宿

 

2011年1月6日

芝尾さん

佐々淳行氏のコメントを興味深く読みました。実はもんじゅを見学したときに、もんじゅは地元の村が関電の原発に取り囲まれてしまったとき、おらが村にも一つ欲しいと陳情し、それならと「もんじゅ」を建設したのだと理事さんから聞きました。村の将来を固定資産税と引き換えに国に譲りわたしたわけですが、村人の雇用は門番だけとうわけ。そして15年過ぎると固定資産は償却済みとなったゼロとなる。たった15年のために迷惑施設を引き受けた村長さんは悪魔に魂を売ったような愚かな人だったと思います。東海村の村長さんも醜い我が身を見せたくなかったから佐々淳行氏に絡んだのかもしれません。村民の命など自分の名誉と比較しどうでもよいのでしょう。さて最近は固定資産税も入らなくなって金に困った[もんじゅ]村の新しい村長さんは使用済み燃料の中間保管料を徴収しはじめたといいます。私は保管料徴収を考え出した新しい村長さんは賢いと思いました。どうせ最終保管所など沖縄の軍事基地のようにすぐには解決しません。中間貯蔵という建前の実質永久貯蔵に保管料をとるのは当然と思います。こうして原子力は次第に金食う虫になり淘汰される運命にあると思います。

もう一つの逸話は山形県の月山に登ったときのことです。月山神社本宮への石段を登ってゆくと「八紘一宇」とへたくそな字で大書した石碑が立っていました。戦前この地方の青年団と婦人団体が連名で建てたもののようでした、このようなものが今だ撤去されずに残っているのは土地柄のせいだろうかと思いました。神域は撮影禁止という看板に従い、入口で記念撮影をし、石造の門をくぐりました。中には白装束の目付きの悪い(右翼っぽい)お兄さんたちが警備していて、若い巫女は怒りっぽく、早くかねを出せ(500円)、安全ヘルメットを脱げとカナキリ声をあげて御祓いをなかなかしてくれませんでした。というわけで月山は芭蕉でよいイメージだったのが靖国神社のイメージと重なり山形県という土地が否定的なイメージに沈んでしまいました。

グリーンウッド


 

2011年1月6日

グリーンウッド様、皆様

 確かに、明治維新後の日本と言う国家は、天皇に直接仕える官僚制度を採用したので、内務官僚が派遣されて知事になりお上として地方を支配した。その感覚、行動様式(エートス)が第二次世界大戦の戦後になっても残っているので嫌なものです。実は、原子力発電に関係していた時も感じたのですが、逆に地方はお上のやることは絶対間違いがない(あってはならない?)のを建前として崩さない。東海村の被爆事故が起こった時に、警察官僚上がりで時の政府の保安関係の最高責任者である佐々淳行氏が、現地に飛び、健康に影響がある半径500mの地域を立ち入り禁止の張り札を立てようとしたところ、現地の警察?自治体?に”政府(お上)のやっていることに間違いが有ることを認めることになる”と言う理由で、止めさせられたとのこと。後で彼が講演会でこぼしていました。政府(お上)の無誤謬の建前を護るためには民間人を危険に曝しても良い訳で、民を護るのが官の役目だと言う当たり前の常識は通用しません。警察の政府の最高責任者で、最高権力者でも日本の底流に流れる変な慣行、変に進化したエートスには通用しない訳ですから、何といってよいのか。
 地方は、お上の支配を認める代わりに、おねだり体質です。絶対安全なんかあり得ないのに何でも全て政府が責任を持て、保障せよと要求する。合理的な解決から全て遠のいてしまいます。
 今回の沖縄の基地問題も、沖縄に全ての犠牲を押し付けているにも拘らず、他の地方自治体は無関心です。 
 徳川時代は藩で自治をやっていたので、少しは合理的だったかも知れないが、やはり、徳川家康の”寄らしむべし。知らしむべからず”は嫌ですね。これが官尊民卑の原因ですからね。

 総合知は、これらの問題を打ち破るものだと願ってます。民主主義は居心地がよいが、欧米には1215年のマグナカルタで「税金を払うのなら、事前に相談してよ」から始まって、長年の抗争、議論の伝統の上に立っている。日本には「天皇陛下万歳」から立ち上がらなければならないので、民主党でなくとも大変です。しかも、欧米でも経済が巧くいかないので政治も巧く行かなくなったらしい。中国は独裁的ではあるが賢人的政府で国力、特に軍事力をかっての日本と同じように強大なものにしようとしている。
 
 それで、益々、総合知への期待とハードルが高くなるのですが、小生は先ず、上から下への改革や押し付けでなく、下から上への自律的な仕組みで出来ないか考えてます。

芝尾

 

2011年1月4日

太田様、芝尾さま、

学士会会報の1月号に総務大臣の片山善博氏が「民主主義と地方自治を考える」という講演録をのせていますが、日本が西欧から輸入した地方自治が全く機能していない例としてたくさん上げています。すべて挙げるのも面倒ですが、まず地方税は中央によって6%と固定されていて地方は決める権限がありません。そして住民には選挙以外は政治参画機会が少ない。その典型として是非経験するように薦められているのが地方議会の傍聴です。市民が議会を傍聴する時は衛視の監視の下、行儀良く片隅で聞かねばなりません。私語はもちろん、居眠り、欠伸をしても叱られます。会議が退屈だからと週刊誌に目を遣ってもいけません。まるで国宝でも拝観するように衛視の指導を受けつつ、 かたや私語や居眠りをしている議員を見ていなければなりません。これが日本の国民主権なのです。とあります。綜合知学会はどうも頭でっかちで、西洋の思想を勉強して分かったつもりでいるようですが、まず地方議会傍聴から始めなければならないのかとチラッと思いました。 わが国はギリシアに端緒をもつ民主主義は根付いてはおらずアジア的専制国家を薄化粧しただけのものと見えます。まことにお寒い限りです。

グリーンウッド

 

2011年1月3日

太田様 総合知学会の皆様

明けましておめでとうございます。 

そろそろマレーシアにも慣れられましたか。残念ながら貴兄やマハティール首相が心配されるように日本はこれからどうしていいのか経済、政治でも分からない状態です。
小生は日本人のエートスと言うのか、パラダイムと言うのか基本的なものの考え方が変わらない限り今後も難しいと思います。経済学者の森嶋通夫は、経済の分野ではそれを上からの資本主義から、日本の産業力が頂点に達した1985年頃から下からの資本主義に変わらなければならなかったと言ってます。官僚主導の産業育成から、自律的な民間主導の自生的な産業発展へと。確かに、米国でははCPUやネットワーク技術は日本に追い詰められた人々がシリコン・バレーなどの馬小屋や草の根から発展させたものですね。現在、アメリカで人気のある就職先は既にグーグルは6位ぐらいで、1位はNPOだそうです。
日本では明治維新を皇国思想で乗り切った成功体験と、終戦後は天皇を占領軍のマッカーサーに置き換えて、官民一体となって手本に追いつき追い越せに成功した2度の成功体験があるので、自主的に、自律的にと言われても中々、巧く行きません。(我々のSTEPもそうだったですね)
蛇足ながら、森嶋教授は日本の政治家と官僚が誰かの指令に忠実に従う態度を変えない限り、自分が嵌り込んでいるいる罠から脱出する見込みはないと言っています。日本人がエートスを変えない限り私もそう思います。
だからこそ、考え方を変えねば、エートスやパラダイムの変換をと思うのですが、総合知学会で長年追求してきたと信じている”生命持続の原則”と言うのか、哲学も倫理も経済も政治も文化も、命を繋ぐ行為だと考える、生命体をモデルにすることによって、かなりの問題を解決できる糸口が得られると考えてます。
その意味で、総合知学会の蓄積してきたものは、かなりあると思います。中々難しいのですが、それを社会に役立つように顕在化出来ればと思います。

芝尾



2011年1月2日20:10

芝尾様

太田(KKTM Beranag)です。

新年明けましておめでとうございます。

マレーシアのKolej Kemahiran Tinggi Mara (KKTM)Beranangに赴任しまして3ヶ月が経ち、ようやく東西南北が分かるようになってきました。マレーシアは、2020年には先進国の仲間入りをするという「ビジョン2020」を推進しています。元首相のマハティール氏は、「Look East」政策を推進してきましたが、最近は日本への期待が変質しているように感じます。日本の長期的な経済低迷や若者のモラルの低下など、日本はお手本らしくなくなってしまっている。マハティール氏は、日本が、再びお手本になってほしいという願いをこめて、「日本人よ、立ち上がれ!」(「立ち上がれ日本人」加藤暁子[訳] 新潮新書)と言っています。

February 26, 2011


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