石油学会誌 Petrotech January 1992 Vol.15 No.1 掲載

第13 回世界石油会議に出席して

グリーンウッド

11年ぶりのアルゼンチンはまことに今の時代を感じさせるものであった。事前に特別の予備知識を仕入れることもなく、ブエノス・アイレスについてしまったのであるが、開会式のメネム大統領の挨拶で時代の変化を感じた。

若い大統領は「アルゼンチンは門戸開放、規制緩和、民営化を推し進め、外資、外国企業、特に国際石油資本の参入を歓迎すべく、法体系を変えたい。共同して議会を説得しよう」と力強く宣言したのである。マルビナス諸島の領有権をイギリスと争って負けて、軍事政権を追い出し、ソ連邦の崩壊を目撃して、今、アルゼンチン国民は自由にめざめたらしい。ペロン派を率いる大統領はかってのペロン派のポリシーに捕われない大胆な政策を押しだし、国を豊かにしようと決意している。ホテルのマネジャーは「あの激しかったインフレもおかげさまで止りました」と語った。来年はデノミネーション予定されているとのこと。日本円よりマルが二つも多い通貨ともおさらばというわけである。

空港からの高架道路よりかの150メートル幅のデ・フリオ九番街に降りると、自動車の排気ガスにより空気が汚染されていることがはっきりとわかる。11年前と明らかに違うものが感ぜられる。自動車の台数が増えたのに、適切な公害防止がなされていないのであろう。日本車はほとんど見られない。シトロエン社との技術提携による国営企業による国産車が主力であるという。現地の商社の人によると、ブエノス・アイレスはラプラタ河口に面し風の強い所であるため、排気ガスがこもることは少ないので排気ガスはあまり問題にされないとのこと。到着の当日はたまたま風の無い日だった。

1933年に初めてロンドンで開催され、第二次大戦中を除き、4年置きに、開催されてきた世界石油会議であるが、今回は南半球初の開催とのことである。2,230人の参加者があった。米国・カナダからは約270名参加にもかかわらず、発表者も少なく、米国の存在感は希薄であった。日本からは140名、ヨーロッパから330名であるが、このうちフランスは100名で最大であった。地元アルゼンチンからは770名、南米全体では1,000名を越し、約半数を占めていた。外貨不足で困っているはずなのに、予想に反し、ソ連人が目立った。150名の堂々たる陣容であった。悪名高きイラクからはたったの3名の参加ながら、会場から盛んに質問をあびせ存在を誇示していた。中国は30名で頑張っており、韓国はどういうわけか2名であった。残り290名はOPEC諸国からの参加である。

プレナリーセッションでは、OPECを代表してインドネシアのスブロト事務局長が基調演説の先陣を勤めた。「石油は非化石燃料のシェアが増しつつあるとはいえ、現在も世界のエネルギーの60%を占めている。湾岸戦争時に示されたようにOPECはいかなることがあろうとも世界経済の安定化のために、また発展途上国の発展を支援するために原油を増産し、原油価格の変動防止に努める。とはいえ生産余力も限界に近づいているので探鉱を行い、余力の上積みを行う。このため、向こう5年間に33兆円の資金が必要である」と挨拶した。この挨拶のなかで、「西ヨーロッパや日本にみられるような原油価格の2倍以上の石油関連税や、環境保護のため提案されている炭素税などは経済の仕組みをゆがめて好ましくない」との名指しの指摘があった。

続いて立った前シェル会長のファン・バッケム氏の挨拶は日頃筆者が考えていることをうまく表現してもらったと思うので、以下に要旨を簡単に紹介する。世界の石油業に携わるものの課題は増大する需要に責任をもってこたえると同時に適性な利潤をあげることである。クエート進攻やソ連のクーデターのようにいつ何がおこるかは予測しがたい。とはいえ将来どうなるかの心象を持つことは重要である。シェル社は地政学・国際経済・環境に視点をおいてグローバル・シナリオを構築した。これによると世界の平均成長率を3%としたとき、商業主義的シナリオでは石油の需要増は1.6%/年、環境に力点を置く持続的発展シナリオでも1%/年となる。2010年で現在の20-35%増ということになる。大したことがないようにみえても、地域別にみるとOECD諸国ではシナリオにより13%増か5%減で、発展途上国では75-90%増となる。

生活水準が向上し、政治的な不安もなくなれば、人々の関心がより良い環境作りに向くのは当然である。生活環境は過去にも向上し、今後もまちがいなく向上し続けるであろう。14世紀と現在のロンドンの環境比較や日本の高度成長の前と後の環境比較などからからわかってもらえると思う。ただ環境をよくするのにエネルギーを余計必要とする。ふえ続ける世界人口の増加部分の95%は発展途上国にある、この人口抑制には先進国の例でみられるように生活水準の向上が最も有効である。この人達の生活水準の向上にはエネルギーが必要である。

以上述べたように、石油は現在世界がかかえている諸問題の解決に必要なエネルギーであり、その重要さは他に替えがたいものがある。しかし、石油は地球温暖化問題に関しては、エネルギーの効率的利用と天然ガスの傾斜利用以外に有効な手段をもたない。地球温暖化問題自体まだ学問的には不明なことが多いにもかかわらず政治問題化してしまったわけであり、真の科学的理解に達するには今少し時間が必要だろう。エネルギーの効率的利用、世界のエネルギーの30%をまかなう石炭の天然ガスへの転換、原子力の利用、化石燃料以外のエネルギーの開発などには資本が必要である。この富の蓄積には利益追及の動機を尊重する気風、開かれた市場、金融市場の安定、貯蓄を大切にする風土、成長する経済などが大切である。OECD諸国がこれらを大切にしたからこそ、その生活環境が旧共産圏諸国のそれより優るようになったと思う。

テクニカル・セッションについては筆者がパネリストとして参加したフォーラム「これからの石油精製のありかた」を紹介する。88人の発表者のうち、IFPはリファイナリー全般、UOPはガソリン製造に関しての総論をきれいにまとめて解説した。他の6名は残査油の分解プロセスに関するパイロットまたは商用プラントの実績の紹介であった。カナダの複数の研究所が共同でアルバータのビツメンの水素化分解に関し、H-Oil、LC-Fining、Intervep HDH、VCC、Canmetなど5種のプロセス比較を行った結果を発表した。これによると90% 以上の高分解では水素化分解が経済的に有利である。ペトロ・カナダはスラリー式水素化分解プロセスCanmetを詳しく紹介した。ピッチ・リサイクルで 95%分解が可能とのこと。シェルは移動床式のバンカー・リアクターを使う水素化分解プロセスHYCONを紹介した。分解率は40-50%(95%も可能)である。出光の山本氏はゼオライト系触媒を使う固定床式水素化分解プロセス R-HYC のコマーシャル・プラントの実績と、スラリー式水素化分解プロセスMRHのパイロット・プラントの成果を発表した。前者の分解性能は36-60%である。後者の分解率は80-90%である。TECが開発したソーカー型ビスブレーカー・プロセスのHSCのコマーシャル・プラントの実績はドイツのSchwedt社が発表した。分解率は 44% である。ソ連は一般的に行われることと全く異なる試みを2つ発表した。TDAという石炭のスラリー状粒子を混合する熱分解プロセスと、RHCという移動床式に触媒を循環し、連続再生を行う水素化分解プロセスである。

フロアからの質問は残査油の分解プロセスに集中した。同時開催のポスター・セッションでIntervep HDHを紹介したベネゼラのIntervep社の研究者が、類似の水素化分解プロセスの発表者に質問の雨をそそいでいた。Intervep HDHはH-Oilに似た水素化分解プロセスであるが、触媒を燃焼再生し、リサイクル利用している。触媒の滞留時間は15日である。筆者はソ連人の議長との事前打ち合わせに基づき、ガソリン製造の方にも話題を展開しようとしたが、場内の関心は残査油の分解プロセスに集中し、2時間の討論はもっぱらそちらの方に片寄ってしまった。

さて堅い話はこのくらいにして、文化的な面にも少し触れてみよう。

約100年前、穀物輸出で稼いだ資金で建設した世界第2のオペラハウスといわれる華麗なコロン劇場で、アルゼンチンの世界的室内楽団といわれるカメラータ・バリローチェの演奏によるバッハやビバルディ、モーツアルトなどを楽しんだ。アルゼンチン・シェルの提供による催しであった。コロン劇場はいまでは内装の更新時期を過ぎてしまっているが、かってトスカニーニが常任指揮者であったといわれるだけあって、大変壮麗な建造物である。

御多分にもれず、筆者もカーサ・ブランカでタンゴを楽しみ、カミニート通りで遅れてやってきたイタリア移民の末路に思いめぐらした。先発のスペイン移民に大土地を占有され、農業労働者かブエノス・アイレスの港湾労働者にしかなれなかった昔の物語があるためである。今ではもうそのようなことはない。ラプラタ河口も土砂で埋まり、水深1メートルである。ブエノス・アイレス(順風の意味)はもはや港湾都市であることを止めて久しいのだ。

タンゴを芸術たらしめたというカルロス・ガルデルのCDを買い求め、安くてうまい焼き肉と血のソーセージに舌づつみをうちつつ、日本の高価な牛肉を呪った。8センチの厚さのある脊椎脇の高級肉を鉄製のグリッドにのせ、香木の薪で作った木炭で脂肪をたらしながら時間をかけて燒くので、口当たりがよく、適度なスパイスに刺激されおもわず、多量にたいらげることになる。山羊の肉などとあなどってはならない。同じ料理法を適用すれば珍味となる。日本に帰ったら数キロ体重が増えてしまっていた。

革製品、カシミアなどは日本の数分の1の価格である。米国人ですら皮のジャケットを調達して大切に持ち帰っている。いわんや金満国日本の紳士淑女はもう財布の口が開きっぱなしということになる。大型の空のスーツケースが必需品である。ミンクなど今どき知性を疑われるため、買い求める人もいないが、希少動物でもワシントン条約では規制されていないカルピンチョウ(ねずみの一種)の皮で作った手縫いの手袋など、土産としてどのくらい買われたことか。

1991年 11月脱稿 掲載されたものは紙面の都合もあり、多少カットされているかここではオリジナル原稿を掲載した


トップページへ