レポート

ENAA REPORT

IPMA主催

第14回世界会議に出席して

グリーンウッド

IPMAとは

本記事を読まれるほとんどの方は「IPMAって何?」と思われると思います。実はかく言う私も2年前はそうだったのですから。

プロジェクトマネジメント手法が変わり身の早いグローバル・ビジネスの主要な管理法としてあらゆる産業と組織に普及してくると、プロジェクトマネジメントを生業とするプロフェッショナルの鼻息が荒くなるのは世の必定。プロジェクトマネジメントの総本山の米国ではこれらプロフェッショナル約4万人を会員とするProject Management Institute(PMI)が、独自の知識体系(PMBOK Guide)の構築とこれを基礎とするProject Management Professional(PMP)資格認定制度を実施しております。変化のための仕掛けを標榜する以上、プロフェッショナルの組織間の移動を容易にするためです。

史上類をみない節度ある「寛容な帝国」といわれる米国のこと、この会員とPMP資格は全世界の人に等しく開かれております。今年からは日本語を含む主要国の国語での受験も可能となります。しかし、やはり言語と文化の違いは見えない差別となって存在します。このようなことに我慢のならない人々がつくり育ててきたのがInternational Project Management Association(IPMA)です。設立されたのは1965年で国際プロジェクトに係わるプロジェクト・マネジャーの情報交換を目的としておりました。当時の名前は偶然にもINTERNETでした。

IPMAは世界の26ヶ国のナショナル・アソシエーション(NA)の連合体で約1万人の個人会員、500社の企業会員、300人の学生会員を擁しております。IPMA連合体に加盟しているそれぞれのNA の個人会員あるいは企業会員の社員は自動的にIPMAの会員となります。

IPMA中最大のNA組織は英国の6,000人の会員を擁するAssociation of Project Management(APM)です。ドイツの1,500人、フランスの1,000人がこれに次ぎます。ヨーロッパ中心ですが、ロシア、エジプト、インド、中国も加盟しており、国際組織になりつつあります。今回スロバキアが加盟して27ケ国となりました。

米国のPMI、オーストラリアのAIPM、南アフリカと日本のENAA/JPMFなど各国のNAとは協力協定を締結しておりますが、今のところ、これら4ヶ国のNAはIPMAには加盟しておりません。

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世界地図で濃い灰色が加盟国、薄い灰色は協力協定締結国です。

IPMAもオープンドアを標榜しておりますので、自国のNAがIPMAに加盟していない国またはNAが無い国の人は直接個人で加入することができます。

 

IPMAの組織と活動

IPMAはスイスに登録した非営利団体で専属の事務局ももっておらず、各NAの事務局が代行しております。登録事務局は英国のAPMが代行しております。各国のNAはその個人会費の20パーセント程度(20米ドル程度)を上納金としてIPMAに収め、IPMAの活動費用に充当します。役員は無給のボランタリーワークです。

各NAはそれぞれ自国のニーズにそった活動を自国語でしております。IPMAの活動はこれらNAの国際的な面を助けることを目的にしております。公用語は英語です。

組織は下図の通りです。

各NAの代表から構成されるカウンシルが意志決定機関であります。代表の合議で方針が決定されます。このカウンシルの会長は現在ドイツのクラウス・パネンバッカー氏であります。執行機関の長はプレジデントで現在フランスのジル・コパン氏が務めております。この下にデリバラブル、 メンバー、ファイナンス、イベント担当の各バイスプレジデントが居ります。

IPMAの活動は資格審査、スタンダード、国際会議、シンポジウム、セミナー、トレ−ニング、インタナショナル・エキスパート・セミナー、地域セミナー、トレーニング・コース、International Journal of Project Managementの隔月刊行(会員は廉価で購読可)、Newsletter年4回発行(全会員に無償配布)、R&Dなどです。

1967年にウィーンで第1回世界会議を開催後、2年に一回世界会議を開催しており、今年の14回世界会議はスロベニア国の首都ルブリヤーナで開催されました。各回毎にテーマを設定しております。今回は戦略とスタートアップでありました。次回2000年の第15回はバーミンガムに決まっております。

私とエンジニアリング振興協会の高橋業務部長が日本代表として出席いたしました。

 

新しいプロフェッショナル資格の世界標準

今回IPMAは下記4レベルの資格認定制度を発表し、認定基準となるInternational Competence Baseline(ICB)と認定プロセスを定めました。

レベル               資格名              

 A    Certificated Programme Director(CPD)

 B    Certificated Project Manager(CPM)

 C    Registered Project Management Professional(PMP)

 D    Project Management Practitioner(PMF)

PMIのPMP資格はこのCレベルに相当すると説明しておりました。面接があるところがPMI資格より厳しい感じがします。

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実際の試験や面接はナショナル・プロフェッショナル・アソシエーションがそれぞれの国語で実施するわけですが、北欧諸国のように会員数が少ないところでは、財政的に無理なので、連合して行うそうです。この4レベルをすべて実施しているのは、ドイツだけです。英国、ドイツ、オランダはIPMAに準拠しながら国家資格へ格上げ申請中。スイスはIPMAに準拠しながら国家資格まで格上げ済みとのこと。4レベルは多すぎて、維持不可能という声が多くでました。(当方もそのように発言)これに関してはスイスのハンス・クノッペル博士が、Aレベルを省略することは可能と言っておりました。

米国のPMIはまだ検討していないので、態度・コメント保留ですが、10月のロングビーチの大会までに双方が検討することになりました。PMP資格とIPMA資格、AIPM資格を統一するにはPMP資格に慣性がありますのでまだ時間がかかりそうです。日本では当面PMIのPMP資格試験を受験する方法をとりますが、いずれ、独自の制度を作らねばならず、その時は、IPMAに準拠するのが適当なのではないかと感じました。

 

ICBとは?

ICBはPMIのPMBOK Guideと同等のもので英語、ドイツ語、フランス語の併記となっております。ICB制定以前はAMPの基準を使っておりました。

ICB ファーストバージョンと資格認定制度に関するIPMAと傘下各NA間の契約書のドラフトを会長のPannenbacker氏より受領しました。(ENAA事務局保管)

契約書のドラフトによりますと、このIPMA 資格制度を適用したいNAはIPMAと契約を締結しなけれななりません。

各NAはIPMAの基準に準拠して自国の制度を制定し、自国語で実施します。すなわち、実際の試験、面接などを自国語で行います。合格者は受領資格の対価として契約書でIPMAの定めるフィーをIPMAに上納しなければなりません。また資格審査機能を代表する人を任命してIPMAパネルに参画しなければなりません。

一方、IPMAは基準(ICBなど)を決め、維持し、改良します。各NAがIPMAの基準通り実施しているか、監査します。弱小国はIPMAから面接官の派遣などの援助を受けることができます。

各NAはIPMAのベースラインに準拠した自国のベースラインNCB(National Competence Baseline)を作成、維持しなければなりません。それぞれの国の文化の違いとPM手法の進化を考慮し、自国のベースラインはIPMAのベースラインに最大20%の独自の要件を加え、IPMAのベースラインのうち不必要なものは最大20%まで除いてもよいことになっております。また参考図書リストもベースラインとして認知します。IPMAのベースラインは英、独、仏の3ヶ国語でのみ提供し、それ以外の言語への翻訳はそれぞれのNAが行うものとします。

ICBが規定している基本的知識項目は28項目あります。

 

第14回大会でのめぼしい発表内容紹介

今大会のテーマは戦略とスタートアップでしたが、主催国の人々がこのテーマに関する発表を多く行った関係で敬遠し、もっぱら米国、カナダ、オランダ、北欧諸国の発表者の話を選んで聞きました。米国のPMIは地元ということもあって、玉石混合という感じです。ここでの発表は4会場平行開催の規模であり、米国、カナダなど距離もあり、個人参加というより、所属組織が旅費を持つ関係で大きな機関または大学といったところからの発表者が中心で、数は少ないが、内容は実のあるものであったという印象を持っています。詳細は別途報告させてもらうことにします。

300人の参会者は毎日昼食もパーティーも一緒ですので仲良しになれるし、IPMAの首脳陣はもとより、ESI、プロジェクトマネジメント発祥の本山の米国国防省の武官や世界銀行の人ととも親しくなりました。

今回大会最終日にスロベニアで行われたIPMAの新制度での新資格合格者に対する資格認定書授与式が行われました。会長とプレシデントが認定書の授与をおこないました。写真はこのときの模様です。

 

ルュブリヤナについて

フランクフルトから出発したアドリア・エアラインはミュンヘンとザルツブルグの間でアルプスにさしかかります。北と南を結ぶ谷間が俄々たる岩山の間にくねくねと連なり、アルプスの南との回廊を形成している様子が手に取るように見えました。アルプスは思ったより幅のある山塊です。ようやく山並みが穏やかになるころ、機は高度を下げて旋回し、森の中の空港に着陸しました。通貨交換の銀行もなく、紙幣自動交換機があるだけの小さな空港です。タクシーもしばらく待たないときません。しかし、空気は森林の香りがしてすがすがしい。

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首都ルュブリヤナはかってのオーストリアーハンガリア帝国に属していたため、古い町は小ザルツブルグとも言われまことに美しい。北のチボリ公園と南のルュブリヤナ城のある小高い丘との間にはルュブリヤナ川が流れ、地形的にはザルツブルグそっくりです。川を使った交易の拠点として、この川沿いに町が発達したのです。川の北側はかってのローマの軍団の方形陣地跡があります。川の南岸の狭い地峡に市庁舎があり、川沿いに古い町並があります。すべて観光客用の小奇麗なみやげ物、ブティックなどです。町は若い人だらけです。夜の 11時に一人で古い小路を歩いても身の危険を感じません。ストルニカ聖堂前の青物市場には巨大なステージが組まれ、ハードロックの生演奏は、聖堂のスレンドグラスが割れてしまうのではないかと思うほどのボリュームでした。日本人にはついに会いませんでした。

さて、旧ユーゴスラビアのうち、コソボではまだ砲弾が飛び交っておりますが、ここは平和そのものです。ここでは 10日間だけの戦争ですんだとのこと。ルュブリヤナ博物館員に聞いたところ「南の方の連中は荒っぽいから」という返事でした。ドイツの大学教授の説明では、スロベニアにもモスレムが居るが、相手方がローマンカトリックだからとのことでした。紛争はギリシャ正教とモスレム間にあるのだそうです。そういえば、キプロスがそうだったと思い至りました。

これもルュブリヤナ博物館員に聞いた話ですが、今から90年前、第一次世界大戦前後、ルュブリヤナがまだハプスブルグ家のものだったころイワン・ハリバールという市長が、地震で破壊された都市の復興、都市インフラの整備、国語の復活、大学の設置などをし、今日のスロベニア独立の基礎を作ったということです。日露戦争に勝った日本がイワン・ハリバール氏のモデルとなったようです。

現在のスロベニアはドイツ経済圏にあり、特に機械加工業がドイツ機械工業に部品を供給するというような構造を感じました。


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