小机城跡・茅ヶ崎城跡

2015年12月22日(火)、友人TとKと飲むために田園都市線の青葉台駅に出かけた。折角だからとラジオで聞いた小机城跡からその枝城である茅ヶ崎城 跡まで歩き、ついでに大塚・歳勝土遺跡と横浜歴史博物館を訪問することにした。全行程10kmだからと朝9:30に家をでて、横浜線小机駅に向かい、ここ から歩き出して午後4:00までに横浜市営地下鉄センター北駅まで歩いた。ちょうど冬至の最も日が短い日であったが、快晴に恵まれて快適な歩きができた。

下に全行程図がある+印を押すと拡大表示できる。


小机城跡

小机城は永享の乱(1438年 - 1439年)の頃、関東管領上杉氏によって築城されたとされる。小机城の跡は小机城址市民の森として整備されており、本丸、二の丸跡や井楼跡(せ いろう)などの主要な部分は残 されている。しかし、富士仙元(ふじせんげん)とは第三京浜道路の建設の際切り離された。また、この城跡の地下には横浜線 の城山トンネルが貫通している。

午前10:30頃、小机駅にたつ、新横浜駅近くにたつ。近くに横浜国際競技場(日産スタジアム)の巨大な姿がある。横浜マリノスのホームグラウンドのよう だ。私が横浜線を使って鶴見に通勤していたことはなかったものだ。国土交通省関東地方整備局が1984年に事業着手した「鶴見川多目的遊水地整備事業」 に、横浜市が共同事業者として「横浜総合運動公園(現・新横浜公園)整備事業」として参画し、その中核施設として建設された施設という。遊水地のため周り には何もない。第三京浜に接続する道路も高架になっている。釣見川の対岸にでは市営地下鉄も高架となり、車両基地もある。

線路にそって西に歩き小机城跡のある小高い丘に登る。山内上杉家の家臣長尾景春が反乱した時景春に味方した矢野兵庫助が城に立てこもり、亀之甲山(現在の 亀ノ甲橋付近)に布陣した上杉方の太田道灌の軍とたたかったといわれる。その後北条の領地となり、廃城となったという。

根古谷(ねこや)から上ると、竹林である。空堀にぶつかって左折してゆくとやがて本丸。本丸→櫓跡→井楼跡→二の丸→空堀 と回る。本丸の西側は第三京浜道路のために削られている。第三京浜道路の下をくぐって急階段を上り富士仙元に上る。畑があるだけ。ここから第三京浜の向こ うに本丸が見える。 急階段を下り、民家の脇を通って鶴見川に出る。東の高架橋は敬遠して西の川向橋を渡る。



川向橋から小机城跡のある丘を振り返る

川向橋を渡ってから梅田橋交差点までまっすぐ北西に向かう。梅田橋交差点で左折し緑産業道路を西に向かえば旧NEC横浜事業所があったところがシネコンと なりその山側のマンション群が杭の長さ不足で傾いた建物があるはず。そちらには向かわず、小川の流れる大日本印刷脇の小道を北上する。

鶴見川の北岸の河岸段丘から流れ出る小川にそった水車坂を上る。そこから中原街道の星谷沢交差点に向かって最短距離の田舎道を歩く。路傍でおにぎりの昼食 とする。この地点は田園都市線青葉台やつつじが丘のちょうど東にある。



星谷沢の田舎道

星谷沢交差点から旧中原街道の坂を下る。途中右手にシェルの巨大なLPガスと天然ガスの充填場がある。埋設式のLPガスタンクは初めて見た。


茅ヶ崎城跡

高圧鉄塔のある並木道を横断して高架になっている地下鉄の下をまっすぐ北に向かうと茅ヶ崎公園に突き当たる。この公園は急傾斜地を知用したもので早渕川(は やぶちがわ)の 支流が作った河岸段丘の跡のようだ。公園を横断し、そのまま北上すると眼前に小高い丘が見える。これが茅ヶ城のようだ。茅ヶ城は小机城の支城として使われ たと いう。



茅ヶ崎城跡

ぐるっと右回りして北側に城跡への入口を見つける。西側から張り出した尾根の根元を切って城としたようだ。北側は早渕川が削り、南側は早渕川の支流が削っ たようだ。東郭から周辺を見回すとぐるっと丘に囲まれ、東側だけ丘が切れて早渕川が流れ出している。そしてやがて鶴見川にそそぐのだ。

西郭→中郭→東郭→北郭と回る。茅ヶ崎城跡におさらばし、早渕川を渡って北岸の「大塚・歳勝土遺跡」 に向かう。

December 23, 2015


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