鎌倉古道下道(しもつみち)

朝日新聞のローカル版に 「尼将軍の涙」しのぶ道という記事がでた。吾妻鏡には弘明寺は源家累代の祈願所と定めるとある。廃仏毀釈で古文書が失われて証明できないが弘明寺(ぐ みょうじ)に は実朝 を暗殺した公暁を祭ったという言い伝えがあるという。弘明寺はちょうど鎌倉古道下道(鎌倉から武蔵西部や上州に向かう道)が通っていたから、政子が馬に 乗って光明寺を訪れたことは確か。馬洗橋 という地名も残る。この下道は現在の鎌倉街道が走る低地をさけて尾根道を選んでいた。尾根道に登り降りする坂道「餅井坂」の入口にはいまでも石の道標が残 る。

金沢道は保土ケ谷 - いわな坂 - 岩井までは同じだが 北向地蔵で下道と分岐する。いわな坂には御所台の井戸(政子の井戸)がある。分岐して以降は清水ヶ丘公園 - 蒔田 - 弘明寺 -上大岡 - 打越 - 栗木 - 能見台 - 金沢文庫・称名寺 - 町屋 - 瀬戸神社 - 金沢八景である。鎌倉には朝比奈切通しで通じている。

鎌倉古道にはこの他にも朝比奈切通、東海道、奥大道、北陸道、武蔵大路、上道、中道、下道、餅井坂、馬洗橋、金沢道、湯坂路があるという。

ここでは大船から弘明寺に至る下道を調べた。実際に歩いた人が書いた東海 道分間延絵図を歩く(神奈川県)サイ トを参考にして一部歩いてみた。そのルートは下図の通り。+ボタンを押して適度に拡大し、スタートボタンを押せば詳細なルートを見れます。


総距離11.7km


第一日目


2013/11/26、大船駅東口出発。11:30松竹撮影所前。しばらく歩くと笠間村の庚申塔、三猿がある。



笠間村の三猿の庚申塔

しばらく歩くと右手に法安寺がある。檀家以外は立ち入り禁止。複雑な笠間交差点をすぎると鼬(い たち)川にかかる新橋(にいばし)に至る。この橋の袂でおにぎりとアンパンの昼食とする。

新橋を渡ると延命地蔵と道標がある。道標には「従是ぐみょうじみち」、「従是とつかみち」元 禄4年とある。「ぐみょうじみち」は鎌倉道下道である。



新橋の道標

西本郷小学校近くには稲荷があってそこに庚申塔、馬頭観音、地蔵等がある。

根岸線の高架をくぐりすすむと有明工業のまえにY字路がある。緩やかな坂のある狭い路地の入 口に「くミやうし道」の道標がある。

「くミやう し道」の道標

滝の前公園と本郷台小に向かってこのゆるやかな坂を登る。宅地造成で古道の痕跡は残っていな いが、地形をみて尾根道と思しき所に向かって登る。最高点に近い小菅ヶ谷小学校に向かって丘の上をゆっくり登る。小学校裏には南横浜火力の巨大な送電線鉄 塔がある。ここがこの近くの最高地点のようだ。室町時代に道興が書いた「廻国雑記」に

ひだるさに宿急 ぐやと思うらむ、路より名のる、すりこばち坂   道興

とある。このすりこばち坂は花立坂であろうという。小菅ヶ谷小学校の西に「此方ぐめうじ道」 と掘った花立道標があるというが見落とした。

道は環状3号線の切通しで突然途切れる。隣の見晴橋で渡れるようになっている。はるか かなたには現在の鎌倉街道がある谷間を見下ろせる。鎌倉街道と本下道の間の野庭にもう一つの下道があったという。


環状3号線と見晴橋

見晴橋を渡り、真っ直ぐ行くと下倉田第二公園へ入る交差点にくる。舞岡公園に行くにはここで左折して一段高い下倉田第二公園に入らなければいけなかったの だが、真っ直ぐに坂を下った。この坂道が次第に右に曲がったことに気が付かず。赤坂公園にたどり着いて??。それでも間違いに気が付かず、階段を下って小 菅ヶ谷に下った。そして小菅ヶ谷北公園の草地に迷い込んだ。ここはバードウォッチングの穴場らしいが袋小路である。ここでおにぎりの残りを食べる。



小菅ヶ谷北公園の草地

間違いに気が付き、取って返して舞岡公園にむかって再度坂を登る。



舞岡公園

日限山(ひぎりやま)の住宅地を湘南プラザ前に向かって歩 く。地形はダダッ広い尾根を歩いていることになる。湘南プラザ前を左折する。宅地開発で造成されたこの広い道をそのまま歩けば最高地点にある日限山地蔵に 到達するが坂を下り、再び登ることになる。古道は尾根の高い部分にあったはずなので日限山局で右折して日限山小と西洗第一公園脇 とおるルートをとった。住宅地は特徴がなく、道に迷う。スマホのGPSで窮地を脱す。日限地蔵の御堂はこの界隈の最高地点あるが1866年にできたそうで 鎌倉時代にあったわけではない。だから下の道は丸山台公園の脇を通って真っ直ぐにつけられていたのであろう。

日限地蔵は日本各地に存在する、「日を限って祈願すると願いが叶 え られる」といわれる地蔵菩薩である。屋外で護摩を焚いているようだ。地蔵尊は、長野と山梨にまつられている分 身と共に「日本三体地蔵」の一つといわれ、高さ約80cmの石仏という。

日限地蔵

日限地蔵から環状2号線にむかって坂を下り、柳橋で環状2号線にでる。環状2号線は永谷川の 流れる谷底にある川は暗渠化され一部、道路脇の広い歩道に川の水辺が再現されている。その先には馬洗橋がある。餅井坂・弘明寺への登り坂への入り口、永野 小下には歩道橋で渡れることを確認した。環状2号線の右手に永谷天満宮がある。1,493年に宅間上杉氏の上杉乗国が造営したとある。大きな裏山を持つ。

足の筋肉が痛くなり、日もくれかかったので市営地下鉄1号線の上永谷駅から戸塚駅に向かっ た。3時間半の歩きであった。

残りは柳橋→餅井坂→弘明寺に向かう。帰りは京急の弘明寺駅か、市営地下鉄弘明寺駅となる。

第二日目

2013/11/30日、田中、和田、小粥ら友人達と一緒に再びでかけた。10:30大船駅 北口集合。その後は下 倉田第二公園に入るところまでは前回と同じ。今回は抜かりなく下倉田第二公園に登り、舞岡公園に向かう。切通しの立体交差をわたったところに庚申塔が建っ ている。右面に「ぐみょうじへ」、左面に「これよりかまくらミチ」とある。庚申塔の後ろに看板があり、1737年に舞岡村の同行七人が建てた道標をかねた 庚申塔だと書いてある。新編相模風土記には舞岡は古くは前岡とよばれていたとある。



舞岡の移設された庚申塔



移植されたスダジイ

庚申塔の奥には巨大なスダジイの大木があり、太い鉄ワイヤで固定してある。そもそもこの庚申塔はスダジイの巨木に抱えられるように切通しの掘削前の場所に 昔からあったもののようだ。80mはなれた切通しの道路建設のため、切り離されてオリジナルの場所よりここに移設したものという。



オリジナルの姿

舞岡公園内でおにぎりの昼食をとる。

昼食後、日限山の住宅地を湘南プラザ前に向か湘南プラザ前に向かって歩き、そこで左折し、日 限山局で右折するところまでは順調だった。日限山小をすぎて西洗第一公園前を左折し、公園を過ぎて再び右折した。ところが丸山台第二自治会館前に集められ た庚申塔るいが見当たらないなーと思いながら歩 いてゆくと北に向かっているはずなのに眼前にお日様が見える。地図を見ても、スマホのGPSを見ても自分の位置がわからない。後で冷静になって分かったの だが、通常、住宅地のブロックは四角のブロックなのだが、西洗第一公園は三角地だったのが原因。三角地だから左折して道なりの真っ直ぐ進むべきところ、頭 のなかは四角を前提にしているので公園を過ぎたところで再び右折してしまったのがすべての間違いの原因だ。そしてその真っ直ぐとおもいこんでいた道は少し ずつ右にまがっていて180度反対方向に歩くハメになってしまった。カルフォルニアでバイクを走らせていて曲がり損ねて反対方向に走って数時間無駄にし、 ついに夜になってしまったことを思い出した。通りがかった人の言にしたがい谷に下ったが、その谷川はかの有名な馬洗い川であった。水辺の散策道を北に向か えばよいとはまだ気が付かず、渡った対岸は野庭高校である。野庭団地の中をさまよった後、天谷大橋たもとから再度馬洗い川の川辺に下り、上永谷駅に向かっ た。実は野庭中央公園あたりには関城の本丸があったという。そしてその水堀がもう一つの古道とはそのとき、気が付かなかった。



馬洗い川

環状2号から再びゆるやかな坂を登り、弘明寺に向かう。横浜横須賀道路の下をくぐり南高校前 を通る。久保坂にかかると道は下りになる。そこを下ってしまってはいけない。NICハイム手前の細い道を左に入る。古い地図にはフジタ寮とあるが現在は老 人施設になっている。ここからは狭い馬の背となり、両側には一流企業の社宅が並んでいる。イトーヨーカドーの巨大な建物を見ながら坂をくだるとそこに餅井 坂の標識があった。鎌倉下のみちとある。

餅井坂の標 識

行きつきて 見 れ共みえず もちい坂 ただ藁靴に 足をくはせて    道興

京急のガード下をくぐり、しばらくゆくと弘明寺の参道にたどり着く。弘明寺の参道は大岡川を 横断している。

弘明寺界隈で呑む場合は京急弘明寺駅より市営弘明寺駅界隈のほうがいろいろ店がおおい。横浜の大衆焼肉 弘明寺駅前店 横浜市南区通町4-116 16: 30より。

弘明寺から山越えで保土ヶ谷に向かう山道はいずれまた。


青木神社

この「尼将軍の涙」しのぶ道は10年まえに歩いたル―トである。その2日目には上大岡を見下ろす丘の道を歩いたのだか、市営地下鉄線沿線の 住民から上大岡駅ちかくにある青木神社を知らないかと問い合わせがきた。

現在の上大岡のあたり、久保(窪)、最戸、別所、中里、弘明寺、井土ヶ谷、六箇村の総社で青木明神と呼ばれていたと言われていますが、何時頃から祀られ いぇいたのか「定かではありません」

現在の「青木神社」は、大岡川の脇の平地に建っていますが、こんな、昔話があります
その昔、大岡川をはさんだ小高い丘の上にあった神社が、ある時、大嵐に遭って、丘の上から川の中に転げ落ちたので、それを引き上げて、現在の場所にお祀り した・・・となお、川を挟んだ、その小さな丘の辺りの町名は「青木」です

青木神社の横を流れる大岡川は、この辺りの「知る人ぞ知る」桜の名所です・・・日野の辺りから桜木町まで両岸に桜の並木みち。青木神社の脇辺りの大岡川で は、水面を流れるの桜の花びらを愛でる、風流なカモのつがいも・・・・

October 12, 2010

Rev. April 8, 2020


トップページへ