旧赤坂離宮
かれこれ30年になるとおもうが、旧赤坂離宮(旧東宮御所)を見たさに四谷から赤坂に向かってあるいたことがある。まだ国会図書館になっていたことで荒れ
ていたが佐藤栄作内閣の1967年に迎賓館にすべく改装することが決まり、創建時の姿になっていたころだと思う。立派だった記憶がある。
2012/5に迎賓館館長だった方が鎌倉プロバスクラブで故事来歴の話をしてくれた。
現在の迎賓館および赤坂御用地の敷地は紀州藩徳川家中屋敷のあった場所に建てられた。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子
にあたる宮廷建築家片山東熊の設計である。元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれて
いた。)に建てられた。ジョサイ
ア・コンドルの給料は時の首相より高額であったという。基礎にはレールが多数使われ、関東大震災でもヒビも入らなかったという。今では採掘不能の
ノルウェー産のバラ色の大理石が使われている。
花鳥の間(かちょう の ま)の壁面に飾られた濤川惣助作の『七宝花鳥図三十額』は必見といわれる。この七宝の技術は今は失われ、再現不能と言われる。
毎年5月には国賓は招かないので一般参観を受け付けているというので来年はそろってでかけることになった。
宮殿はメンテナンス費が新設と同額かかると言われていて大変だが、これをいじして行くのは必要けいひだと思わせる。
June 11, 2012