乃木坂

2014/4/17、友人から春陽展の招待状をもらったので、東京に出たついでに新国立美術館に立ち寄った。乃木坂には赤坂時代に昼休みの散策先で何度かきたことがあるが、乃木神社と旧乃木邸を訪問したことはなかった。天気も良かったので丁度よい機会と訪れた。

乃木坂は江戸時代には「幽霊坂」、「行合坂」、「膝折坂」とも呼ばれた。赤坂一帯には軍関係の施設が点在したため、当地域にも軍人が移り住み、その中に乃 木希典もいた。乃木坂の名は1912年(大正元年)9月、大日本帝国陸軍の重鎮で、学習院院長であった乃木希典大将の殉死を悼み、赤坂区議会が改名を議決 したことに由来する。次第にその周辺の地域も乃木坂と呼ぶようになったという。

坂の上の雲」 の影響を受けて、乃木希典は指揮官としては落第だが、人格者としては立派だという評価をもっていた。その自宅は人格者としての矜持を示すものであった。ロ グハウス風の建物は、ドイツ留学中見たフランスの聯隊本部兵舎を自ら模して設計した、半地下、地上2階建ての建物で質素だ。ここで静子夫人とともに殉死し た部屋は写真右側の部屋である。



乃木邸


敷地内にはレンガ造りの厩も残されている。旅順開城後にステッセルから贈られた愛馬「壽号」の厩舎はレンガ建で、自宅より立派。



厩舎

乃木邸の裏には乃木神社がある。意外に立派だ。維持費用は婚礼・宴会等に使用される神社隣接の乃木會館やレストラン・メゾンブランシュの収益から捻出しているのか?



乃木神社

April 17, 2014


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