戦死の詳報方々御悔み

拝啓

お別れしてから最初のお便りがこんな悲しいお知らせとなった事が何より情けなく思います 奥様 始めお坊ちゃま達が新聞やニュースで隊長の勇名を聞きましたらどんなに凱旋の日を心待ちして居られ事でせう 隊長戦死の公電が参りました時の一家の驚き悲 しみの程 推察に難くありません 如何に覚悟の前とは申せ どんなにお悲しみの事かと存じます
回顧すれば佐伯からこの龍驤にくるまで私にとっては最も深い人でありました
第十二空隊が編制され周水子、大村、上海と常に行動を共に致し かの勇名を馳せた南京爆撃に際しても隊長は常に先頭に立って我々を率いて下さいましたー隊長 はもう休んで下さいーとどんなに願っても危険と見れば真っ先きに飛んで行かれ我々が見ていてハラハラすることが何度あったかしれません 常に指揮官として のやり方を身を以て範を示して下さいました その勇敢な行為は単に我隊のみならず全隊に響き渡ってゐました 龍驤にまいりましても又隊長と一緒に参戦出来 た事をどんなに嬉しと思ったか知れませんでした 
此方に来ましてから幾度か攻撃に出ましたが隊長が出られる時は必ず私の小隊がついて出てゐました
二月四日午后一時半に隊長は艦爆六機を率いられて指揮官の重責を続行されました 此の日も又悪天候で後続小隊長たる私は頭を抑えつける密雲を突破するのに閉口しながら指揮官の後とをつけるのが精一杯でした
高要(場所は秘密にして下さい)の西十二浬の地点に於いて西江を下る二十数隻のジャンク群が曳船に曳かれて行くのを発見され直ちに急降下の爆撃を敢行されたのでした
第一弾の効果不十分と思われた隊長は直ちに第二弾を投下すべく高度を取り先頭に立って第二弾の急降下に入られました
高度600米程降下した時突如指揮官機の胴体下から火を発したので直ちに爆弾を投下して機首を引き起こされましtらが其の時は最早ガソリンタンクに燃え 移った火の海で駄目だと観念された隊長は生き恥をさらさんよりはとお考えになったらしく対岸の河原目がけて愛機諸ろ共も突入され壮烈な戦死を遂げられまし た 我々は爆撃を終わって低空移行をして具さに状況を見ましたところ搭乗席は砂中に深く埋もれて僅かに燃え残った翼の骨組が見えた丈でした
隊長の復讐の念に燃える我々は残ったジャンクを完膚なき迄にやっつけてしまいましたが残機を纏めて母艦へ帰ひるその時の私の胸は張り裂けんばかりでした
嗚呼あの勇ましかった隊長我々の尊敬していた隊長出発直前も懇々と注意された隊長に再び此世でお目にかかれぬかと思ふと全く夢のやふでなりません 然し戦 死の現場を目撃した私として現実に間違いないと思い乍らもまだ夢のような気がしてなりません 隊長は良き活模範を示して下さいました 軍人として死ぬ時は 隊長の様にして死なねばならぬと今更のやふに思いました
一塊の火の玉となって
天皇陛下萬歳を唱えいて死んで行く こんな立派な死が武人の本懐が之れ以上にあつとは思われません
隊長の肉体はもふ亡んでしまいましたけれど その精神は未来永劫日本海軍の光輝となって傳ひられ決して消滅するものではありません
奥様どうぞ隊長の意思をお継ぎ下されて お子様方を立派に養育されん事をお願ひいたします 私は皆様の御心中を案志まして之れ以上筆がつづきません 
先は戦死の詳報方々御悔み
まで 草々

敬具

二月十五日

小川正一

田中すみえ様




田中すみえはその後、二男一女を育て上げ、2009年100才にて永眠。

小川正一氏(第60期S7.11.19卒)はその後1938年2-7月まで続く南昌爆撃に参加。多分空母龍驤からの継続出撃だったのだろう。太平洋戦争で は空母加賀から第12攻撃隊の1中隊24小隊隊長として真珠湾攻撃に参加後、中佐になってミッドウェー沖で空母加賀艦 爆隊分隊長として戦死。ミッドウェー沖では主力空母「赤城」「加賀」「蒼龍」そして「飛龍」が、アメリカ機動部隊の放ったSBDドーントレス艦上爆撃機に よってことごとく撃滅された。加賀は艦橋の指揮官全員が失われた。火災が激しいため代理指揮をとっていた天谷中佐が退艦を命じた。小川正一大尉は同艦被爆 後、負傷のため(恐らく大火傷)無理に体を動かす事が出来なかった様。別れの際のエピソードを天谷中佐(加 賀飛行長)が戦後のインタビューで語っている。

インターネットで小川正一を検索すると

南昌空战,以及舰载攻击机飞行队长渡边初彦率领的96式中攻机5架,组成25架混合大编队空袭南昌。敌小川正一中尉欺南昌空军补充不及,竟率日机5架强降南昌机场示威。是中国历史上最为夺目的一段战争历史过程。

という中国側の記事が出てきた。

1938年2-7月、渡辺初彦(58期S5.11.18卒)率いる96式中攻や小川正一中尉の隊が江西省南昌を急降下爆撃したとき、中国空軍とソ連空軍の ボランティアチームが空中戦で迎え撃ち、日本海軍空軍の"四天王"の一人南郷茂章少佐(55期S2.3.28卆)を撃墜したとある。

  November 26, 2012

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