田名向原遺跡

遺構は、直径約10メートルの円形の範囲を川原石で囲んだものであり、内部からは柱穴12基と焚き火跡2箇所もあわせて確認している。また、二次加工をと もなう剥片や大量の母岩・石核も集中して見つかっており、旧石器時代人の石器製作の場として利用したことがうかがわれる。また、槍先形石器の石材には長野 県産、伊豆産、および箱根産の黒曜石が用いられ、遠隔地との交流も示唆される。成形された石器には尖頭器193点のほかナイフ形石器50点あまりの出土が ある。本遺跡は、川辺に接していたと考えられ、サケ・マス類の季節的・集約的な漁場につくられた半定住住居として推定される。なお、本遺跡の建物跡は、炉 跡、柱穴、外周の円礫群などをともない、確実なものとしては日本列島最古の建物跡である。

長野県産の黒曜石は小保戸遺跡などを経由して届いたのであろう。

ずっと後世になるが近くには当麻谷原古墳(たいまたにはらこふん)がある。14基もの円墳があったが、ほとんどが荒らされており、現在一号古墳はポンプ場内に保存されている。 7世紀の後半に造られたと見られている。


  May26, 2016


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