ウィトリッヒの森、権太坂、英連邦墓地

1999年のお盆の日に横浜保土ヶ谷の権太坂近くにある英連邦戦没者墓地にでかけた。東海道の原宿交差点が渋滞し前に進まぬので交差点手前で適当に左折し、横浜ドリームランド方向に行く途中「ウィトリッヒの森」を発見。

説明下記によるとスイス人ウィトリッヒがこの森を愛し、その死後、遺族が横浜市に寄贈したという。広大な森がそこにあった。東海道はこの当たりでは尾根道となっているが、その丘の北西の斜面が境川に臨むところにある。

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ウィトリッヒの森

さて、新保土ヶ谷インターで横浜新道から保土谷バイパスに入って狩場インター前でバイパスを降り、国道1号を100m程日本橋方面に走って2度左折すると旧東海道の小道に入る。旧東海道は尾根道を直登しており、 保土ヶ谷バイパスの上を陸橋でわたる。権太坂という道標があるのでそれとわかる。日本橋を出発して1日の旅が終わる戸塚の宿の前に立ちはだかる坂として有名である。1月2日のメインイベント箱根駅伝は谷筋にある新東海道を走るが、勾配は尾根筋より多少少ない。

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権太坂の道標

さて目的の英連邦戦没者墓地は尾根道にある旧東海道の東側の谷筋にある新東海道の権太坂上交差点の更に東側の丘の頂上にある。

第二次世界大戦で戦死した英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インド、パキスタン軍の将兵が葬られている。

植生は英国の公園のようにエキゾチックな樹木と潅木が多い。土地は日本が提供したものだが、管理は英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インド、パキスタン各国政府が英連邦軍墓地委員会に委託して行っている。手入れはよく行き届いている。下の写真は英国兵士のものであるが、インド、パキスタン兵はキリスト教徒ではないので、墓の形式もそれにふさわしくなっている。

墓石には名前、年齢、配属が明記されている。工兵には50才台も散見されるが、前線で散った兵の年齢はいずれも20代である。

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英連邦戦没者墓地

グリーンウッド氏はこのような墓地をシンガポール、チャスエスク時代のルーマニアで訪れたことがある。いずれも観光名所となっているが、ここが一番手入れが行き届いていると感じた。

英連邦を維持するために命を落とした連邦各国の兵士を永遠に見守るために連邦が実質瓦解した今になってもその落命の地に墓地を永遠に維持しようという強い意思が感ぜられる。

この墓地の近くの住人であるグリーンウッド氏の知人が指摘されているが、英連邦をモデルとした?大東亜共栄圏構想は泡沫のように消え去ったが、靖国神社に大東亜共栄圏各国の兵士を祭るといった構想があったとは寡聞にして聞かない。構想事態がそもそも皮相、貧弱で人間性を深く見据えていないから大東亜共栄圏は泡沫のように消えてしまったのだろう。

そもそも落命の地、それも異国に墓があるなど、現在の日本人には考えられないことであろう。帆船に乗って世界に雄飛したかっての英国の船乗りが不幸にして命を落としても当時の技術では遺体を本国に持ちかえることは出来ず、やむを得ず水葬にし、これを名誉あることと考えるようになった歴史がそうさせているのだろうか?

1999年8月15日

Rev. 2005/12/20


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