ラゴス・ポートハコート

1993年4月、重要顧客を集めてのフォーラム開催のため、東南アジア、アフリカ、中近東を歴訪した。訪れた都市は台北、高雄、バンコック、ロンドン、ラゴス、ジッダ、ダーラン、リヤド、ドバイであった。ラゴスでの講演会を終えたあとの週末、ラゴスの大西洋を望む遠浅のビーチで一日甲羅干しをした。この浜は自然がそのまま残っていてすばらしい。ノドが乾けばココヤシの実を割った飲料を買って潤すのだ。

奴隷貿易時代、奴隷を捕まえてヨーロッパ人に売った酋長が代償として受け取ったビーズ類がその墓から発掘されるという。真偽の程はわからぬが、そういうものがラゴスのマーケットにでていた。

nigeria.jpg (11543 バイト)

ラゴスのビーチでのひととき

フォーラムのパーティーに招いたキングウィルキンソン社の現地駐在のとある女性コンサルタントが「この国はなまじ石油資源があるため、貧しい農民がつらい農業を捨てて都市部に出てきてしまい、農業が崩壊し、食料を自給できなくなり、食料輸入のために石油収入を使い果たして国家財政は破綻している」という悲しい現実を指摘していた。

またある人はナイジェリアはパーム油を産するパーム椰子の原産地なのに、今や東南アジアがこのプランテーションで大成功している。折角の遺伝子資源を有効利用できない、この国のおろかさこそ反省しなければならないと声を上げて主張していたのが忘れられない。

この旅興行の他に1994年頃かナイジェリアを2回訪問した。新ビジネス開拓とナイジェリアが主催したポートハコートの学会に出席するためであった。

新ビジネス開拓

ナイジェリアのLNGプラント・ビジネスのためにフランスの土建業者とイタリアのエンジニアリング会社とコンソーシアムを組んでいた。ある週末 、くだんのフランスの土建業者のラゴスの所長が自分の拠点での昼食に招待してくれた。

コートジボワールのアビシャンから連れてきたアフリカ人のコックが作る純正フランス料理が熱帯樹の木陰で振舞われた。海風が心地よい。

所長はフランスのピレネー山脈の麓の元貴族の子孫である。先祖の領地で産する赤ワインを振舞ってくれた。目を細めて土地の匂いがするという。どういう意味か訊ねたところ、葡萄を収穫するとき土地の土ぼこりが葡萄に混じって発酵槽に入るためだそうである。 元貴族の子孫であろうとフランス革命後はアフリカの建設現場の所長をしなければ食べて行けないのである。

ポートハコートの学会

ポートハコートで開催される学会にも義理で出席した。

ラゴスから国内便で飛ぶわけであるが、ここで独裁政権の弊害をいやというほど経験した。

独裁政権の要人(多分大統領)がラゴス空港から飛び立つときは、安全のためナイジェリア内の全ての航空機を地上に降ろすという。 反政府分子によるロケット攻撃を避けるためであると推察される。誤爆で我々民間人が犠牲になるのを防ぐ効果もあると慰めれば、多少気が休まる。このため全てのフライトが大幅に遅延し た。我々の乗った飛行機も例外ではなく、1時間、機中で待たされたあげく、機内環境を維持できないと、機外に出ることをゆるしてくれた。要人を乗せたと思しき旅客機が離陸するときは両側を護衛の軍のジープが走る。余りの速さに一緒に飛び立つのではと思ったくらいであった。

キツイ日射を避けるために主翼のしたで風に吹かれていたが、午後になると豪雨 となった。するとメンテナンスクルーが車でやってきてピトー管の開口部に旗のついたプラグを差し込んだ。ロシア製の機体は雨水対策が充分ではないらしい。整備士はイタリア人かなと思ったが、ラテンゴ語に起源を持つルーマニア語を話すルーマニア人だという。

主翼は気密構造となっていないので下に居ると雨漏りがする。胴体は気密構造となっているが円筒状のため表面を伝わって雨水がたれる。やむをえず、バスでターミナルに向かうが、超混雑でこれくらいなら機体の下で雨にぬれていたほうがよかったと悔やんだくらいであった。それでも夜となってようやく飛びたつことができた。ポートハコートについたときは夜半であった。フライトがキャンセルになった現地人は徹夜で舗装の悪い400kmの道を車で走ったそうである。

建設現場視察

ポートハコートではグリーンウッド氏の会社が建設中のオレフィンプラントの建設現場をT所長のジープに同乗し視察した。敷地の周辺を高い塀で完全に囲っているのは毒蛇の進入を防ぐためという。盗難防止は英国 人保安担当者の知恵を入れでガードマンの不規則ローテーション と電話による不定期呼び出し点呼制を採用していて盗難事件は皆無とのこと。隣の某J社の現場は平和ボケの日本式システムのため、資材の盗難事件が頻発して大変なことになっているとのこと。

ナイジェリアには植民地時代の分割統治のなごりもあってか3大部族が互いに反目しあっているため、特定の部族に技術を教えても他の部族に伝わらないということが生ずる。このため同じ会社のなかで世代間の引継ぎがない。そのため常に技術を教え続けないとプラント運転が継続しないという ことが生じる。

このようなわけで、我々が内陸部のカドナに建設したリファイナリーはすでに稼動していないという。

2001/1/12

Rev. April 3, 2010


トップページへ