戸の口堰洞穴

(財)会津弔霊義会の立て看板の説明文

今から350年前元和年間猪苗代湖の水を会津地方に引くため郷士八田氏が起工し、元禄年間まで工事が続けられ後天保3年会津藩士佐藤豊助は藩命により飯盛山の山腹約150メートルを人工的に穴をあけ、水田2,500ヘクタールの灌漑に供し使役人夫5万5千人と3ヶ年の歳月と費やして遂に完成した。白虎隊士中二番隊は戸口の原に布陣している味方軍応援のため派遣されたが戦いに利あらず、お城の安否を確かめようと帰城の途中隊士20名が通過した洞穴である。


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