鎌倉プロバスクラブ卓話

唯一の武家の館と北条氏常盤亭跡

内海恒雄

2008/6/10

鎌倉プリンスホテル

浄土思想の平泉と武家の古都鎌倉の世界遺産登録は1年延期となりました。いままでの日本の世界遺産登録は国主導でしたが、鎌倉が遅れるメリットは市民の支持を得る時間があったということでしょう。

平安時代までは氏神信仰だったのですが、頼朝が八幡信仰や天神信仰を広めたため「お宮参り」という風習を始めるきっかけになっています。福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される荏柄天神の本殿は鎌倉時代の建物が残っています。

仏教信仰に関しては禅宗がはじめた庭園の造園法が金閣寺や銀閣寺の庭に影響を与えています。建長寺に残っている建物は江戸時代のものですが伽藍配置は鎌倉時代のものです。称名寺の平橋と反橋の対の橋も平安時代の御殿形式です。永福寺の復原も行われることになりました。仏法寺跡は由比ヶ浜が見える景勝の地ですがここにも入れるように準備を進めています。

さて本日のテーマは北条氏常盤亭跡です。鎌倉時代に沢山あった武家屋敷跡は失われました。例えば源氏三代の御所は清泉小学校になりました。北条の代になって若宮大路の東側に御所を移転し、その裏の宝戒寺に北条氏の屋敷を持ちました。京都御所と藤原氏の屋敷位置と類似点があります。若宮大路幕府跡は市街地になって失われ、北条氏の屋敷跡は寺になってしまいました。

唯一残っているのが北条氏常盤亭跡です。ここは第7代執政で歌人としても優れていた北条政村の別邸跡です。ここに別邸を作ったのは大仏切通の警備の意味があったと思います。切通は北条一族で守るという意思のあらわれであります。建長寺、円覚寺は得宗家、極楽寺は極楽寺流と大仏流、名越は名越流、朝比奈は称名寺の金沢流です。私は常盤亭遺跡の発見者の一人です。高校生の頃、ここで青磁を発見して先生に見てもらったことなどなつかしい思い出のあるところです。
 

June 29, 2008

Rev. June 3, 2009


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