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エラスムス像

2000/5/18 作成

erasmvs.jpg (19544)

栃木県佐野市上羽田の龍江院という禅寺の観音堂に「カテキ像」というものが伝わっていた。この木像の巻物の表面にERASMVS RETTERDAM 1598という文字が書かれていたことから、ウイリアム・アダムスを乗せて400年前に豊後(大分)沖に漂着したデ・リーフデ号の船尾版(トランサム)に飾られていたエラスムス像であるということが1920年に明らかになった。エラスムスは宗教改革の時代に活躍した人文主義者である。「痴愚神礼讃」、「平和の訴え」の著作あり。デ・リーフデ号は建造当時はエラスムス号と呼ばれた。デ・リーフデ号は1598年にロッテルダムを出航、5隻の船隊であったがマゼラン海峡を経る1年10ヶ月の航海でリーフデ号1隻に減っていた。デ・リーフデ号には110人が乗船して出航したのに、大分に到着した時は24人になっていた。デ・リーフデ号は堺経由浦賀に回航され、ここで解体されたと推定される。徳川家の旗本牧野成里は砲術をウイリアム・アダムスから指南された。このときエラスムス像をもらい、長らく牧野家の裏門近くのお堂に置かれていたといわれる。エラスムス像は重要文化財に指定され東京国立博物館の収蔵庫に保管されている。

・・・朝日夕刊2000/5/18-19


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