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634

さらさら越え

2002/09/15

1584/12/25佐々成政が徳川家康に会うため冬の立山を越えたことを「さらさら越え」という。さらさら越えの正確なルートはいまになるも不明と言われているが、一般にザラ峠(2,348m)を越えたと伝えられる。

まえじまてつお氏のHPの3,000m峰・剱岳に、立山の少し南の獅子岳と五色原の間にザラ峠が表示されている。彼は若き頃、剱岳からここを通り針ノ木峠に抜けたという。まえじまてつお氏問い合わせると国土地理院の五万分の一の地図が原典という。手持ちの昭和32年発行の五万分の一の地図を開くとなるほどそう表示してある。富山から成願寺川を遡り、湯川谷に入ればザラ峠にいたる。ザラ峠を越えて中谷に下り、小高い刈安峠を越えるか、五色原から尾根伝いに刈安峠に下れば平渡場である。ここで黒部川を渡り、針ノ木谷を登ると針の木峠にいたる。針の木峠を越えれば大町だ。安曇野を南下し、天竜川沿いに浜松に出たと考えられる。ザラ峠越えには定願寺の修験者が道案内に立ったと伝えられている。豪雪地帯なのでかんじきなど使用して雪の上を歩いたのだろうか?

まえじま氏によると近世のスポ−ツ登山になって、冬季北アルプス横断に成功したのは、大町の百瀬慎太郎ら5名による大正13年3月3日〜22日のこと、人夫21名を雇い、スキ−も使用しての横断だったそうある。

ところで手持ちの昭和32年発行の五万分の一の地図には針ノ木隊道(大町トンネル)は記載あるも黒部ダムはまだ記載ない。まえじま氏の指摘のとおり剱岳は3003mとなっている。

さていくらなんでもこのルートは危険すぎる。そこで、糸魚川(850m)ルート、安房峠(1,802m)ルート、中尾峠(2,095m)ルートなどが提唱されている。ー深井甚三、学士会報2008-IV No.871

Rev. July 4, 2008


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