メモ

シリアル番号 表題 日付

389

アメリカズカップ

99/11/7

ローヤル・ヨット・スクォードロンには海軍の提督、王室がメンバーで軍艦旗掲揚権利を与えられている。

●1815年設立のローヤル・ヨット・スクォードロンが1851年に開催したワイト島一周レースに100ギニーのローヤル・ヨット・スクォードロン・カップを提供。

●ロバート・セバスチャン・ギャラードにつくらせたギリシャの水差しを模したもの

●ビクトリア女王臨席のもとニューヨークヨットクラブのジョン・C・スティーブンス会長がこれを奪ってアメリカズカップとなった。

●スティーブンス会長がヨットデザイナーに任命したのは弱冠31歳の新進デザイナー、ジョージ・スティアーズであった。

●艇には"アメリカ"という名前が与えられていた。

●カップを持ち帰ったスティーブンスたちは、この快挙を後世に伝えようと考える。そこで浮かんだアイデアは、獲得したカップをニューヨーク・ヨットクラブに寄贈し、これを懸けた国際的なヨットレースを開催することであった。

●カップ寄贈にあたって、彼らはこのレースの在り方について記した文書を添えた。これが、いわばアメリカ杯の憲法とも言われる「贈与証書」(Deed of Gift)である。「アメリカ杯を保有するヨットクラブは、外国のいかなる挑戦にも応じなければならない」という基本理念が表明されている。「100ギニーのカップ」が「アメリカ杯」と称されるようになるのはこの時からである。「アメリカ杯」をめぐる挑戦者たちの歴史はこうして開始されたのである。

●2003年のアメリカズ・カップはスイスのアリンギ・チャレンジがニュージーランドを押さえて優勝しそうである。前回ニュージーランドに優勝をもたらしたスキッパー、ラッセル・クーツをスイスの大手製薬会社オーナーのエルネスト・ベルタレッリ氏が引き抜いたことが勝因。2003/2/28のオークランド沖の第4戦ではチーム・ニュージーランドがマストを折る。ラッセル・クーツはデニス・コナーのア杯通算最多勝利数13に並ぶ。

●日本チームは東大の宮田秀明率いる10名からなる設計チーム(ロッキードはスカンクワース、ボーイングはファントムワークスと呼ぶ)がデザイン・バイ・シミュレーションで一日1隻設計し、3年間で30年間設計してきた、ニューヨークチームのブルースファーに対抗し船としては世界最速の船を造ったがクルーの技量が及ばず、敗退。

●アメリカズカップ船は重さ25トンのうち、鉛の重りが20トンである。風は5ノットから20ノットの範囲でふれる。これはパワーでいうと100馬力から1600馬力に相当する範囲となる。マストは35メートルのカーボン一体成型、ハルはカーボン・アルミハニカム・カーボンのサンドイッチ構造。破壊は一瞬で生じるので日本チームは光ファイバを埋め込んでオンボード歪計測をした。

●詳しい情報:アメリカ杯の起源とその精神


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