メモ

シリアル番号 表題 日付

221

白虎隊

96/8/31

●1868の戊辰戦争時、会津藩の武士を年令により分けて構成した決死隊の最若年層の隊、官軍との戦いに敗れ、会津城(鶴ガ島城)が火炎につつまれるを見、落城と速断し自決したのは白虎隊のなかでも、上流出身者の一部。

●自決直前なかの一名がもっと先に行って、城がほんとに炎上しているのを確認してはと提案したが、仲間の「死ぬのが怖いのか」との一言で真っ先に腹を切ったと言われる。

●自決16名中蘇生したのは飯沼ただ一人。のち逓信省技師になり、仙台に居住。

●官軍との戦いに敗れ敗走中、仲間とはぐれ、自決せず生還した酒井はのち回想禄を記し、仏壇に保管した。死後60年後の1995年にこの回想録が発見され自決せずに生還したいきさつが明らかになった。

●白虎の名は四神(しじん)の一つ
ー北ー玄武       ー45ー60才
ー東ー青竜       ー35ー45才
ー南ー朱雀(しゅじゃく)ー25ー35才
ー西ー白虎(びゃっこ) ー15ー25才

●猪苗代湖の水を灌漑用水にするため、飯盛山の山腹をくりぬいた、トンネルは今でも現役であるが、自決白虎隊がこのトンネル経由でおちのびたとのこと。白虎隊引揚げ洞穴とよばれる。

●白虎隊引揚げ洞穴下にさざえ堂がある。ダブルヘリックス構造となっている。


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