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シリアル番号 表題 日付

1354

コンカレント・エヴィデンス
2012/08/24

オーストラリアの裁判所で生み出され,活用されている,コンカレント・エヴィデンス(concurrent evidence)という専門家証言の方式は複数の専門家の共同による証拠の提出を実現するもので,科学的知見のような専門家証拠を法廷でどう生かすか, という問題への一つの対応であると同時に,背景には,先に述べた対審構造の欠点に対する問題意識がある。

具体的には,まず複数の専門家がそれぞれに証拠を用意するとともに,「コンカレント・レポート」によって意見が異なる点を整理し,そのうえで,専門家には 法廷で自らの意見を示す機会が与えられる。さらには,裁判官の前で「専門家たちが互いに質疑応答を行うことが推奨され」ており,争点に関する見解のうち合 意できる点,合意できない点を明らかにしていくのである。この方式の利点としては,本稿の文脈に即して,@なぜ差異が生じているのかを明らかにできるこ と,A未来予測が必要な,真の不確実性の存在を明らかにできることの2 点を挙げられよう。より興味深いのは,コンカレント・エヴィデンスの利点を説くマクレラン判事の,次のような指摘である。「コンカレント・エヴィデンス は,専門家が従来採用してきた意思決定プロセスを法廷内で実現する手法である。(中略)これを法廷でも採用しない理由はない」。

構造的要因の根本は,法廷における対審構造にある。対審構造のもとで専門家は,原告・被告のいずれかをクライアントとし,依頼に応えるべく奮闘する。専門 家の姿勢は,正義感,義務感,あるいは信念に支えられていよう。だがそこには,専門知をめぐる議論や対話は存在しないし,構造的に存在しえない。主張は常 に一方向的で,専門家は孤独に反駁を受ける。分裂したそれぞれの専門知の妥当性を問うピアレヴューは,ここでは当然ながら働かない。そもそも,非専門家が 専門家を尋問するというシステムにおいては,専門家の専門性(の正確さ)や専門知の適用限界を有効にチェックできない。しかも,弁護士らとの応答の際に用 いられる誘導尋問という手法は,科学的知見の前提条件を決して語らせない。Yes かNo かの回答を迫られる証人尋問において,不確実なものは議論できず,そのような状況で示される「証拠」とは,「信念」との区別がつけがたいことになる。この ように専門家や専門知の限界を明らかにできないにもかかわらず,裁判における法的意思決定(すなわち判決)の判断主体たる裁判官は,実質的に,信頼できる と評価した専門家の総合的判断を丸ごと採用しがちである。あるいは,科学的判断と法的判断は別物だとしながらも,科学的判断に忍び込んだ価値判断を追認し たりする。それらの判断が依拠する証言において科学的判断と価値判断との切り分けがなされないとすれば,「御用学者」の暴走を防ぎえないのは当然の帰結で ある。
しかも,科学者の証言の証拠力が評価される際には,しばしば専門家が恣意的に選別されることも指摘されている。対審構造が,対峙する二者を対等な関係とし て想定するシステムであるにもかかわらず,である。法廷には,科学的知見の有効性や限界とは無関係に,価値判断や社会的基準によって特定の知見が「科学 的」に正当化される恐れが潜んでいる。こうした状況が,科学者を「御用学者」に転化することを許し,司法プロセスへの信頼を損ない,ひいては社会における 公正や正義の基盤を掘り崩しかねない。

流通経済大学法学部尾内隆之教授
東北大学大学院理学研究科本堂毅教授


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