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シリアル番号 表題 日付

1004

タルペイアの岩(タルペーイアの岩)

2005/12/11

『プルターク英雄伝』ロムルス伝 17によれば建国者ロムルスは、30人ないし683人の女性を、近隣のサビーニ族から掠奪した。こうしてローマの町はサビーニ族によって激しく攻め立てら れる事になった。その時、ローマでも最も要害に当たるカンピドリオの丘(現カピトリーの丘)の城砦を守 備していた人々の中の隊長がタルペイウスであり、そ の娘がタルペイアであった。この城砦はかなりうまく守られていて、さしものサビーニ兵も近づき難かった。サビーニ族の男達は、ずっしり重い黄金の腕輪を左 腕にはめ、宝石入りの大きな指輪をし、大きな盾と剣で武装していたのだが、タルペイアはそれを見て、その腕輪と指輪が欲しくなり、報酬として男たちが左腕に はめている腕輪が貰えるなら、ローマを裏切って、ローマ兵に気付かれない様に一つの門を開こう、と申し出た。

サビーニ族の王タティウスは腕輪を渡す事を約 束し、サビーニ族の兵士達はカンピドリオの丘に入る。

しかし裏切るものは愛するが裏切ったものは憎むと言ったのはアンティゴノス(アレクサンドロスの将 軍)ばかりでなく、又トラーケーの王ロイメータルケースについて裏切りは好きだが裏切り者は嫌いだと言ったカエサル(アウグストゥス)ばかりではない。用 に立てる間は愛するが、用が済んでしまえばその邪悪を憎む。その時、タルペーイアに対してタティウスの懐いた気持ちは正にそれであった。即ち味方の兵隊 に、あの約束を思い出して銘々が左手に着けている腕輪を一つも惜しまずタルペーイアにやれと命じた。そうして自分が先ず腕輪を手から外して盾と共に投げつ けた。皆が同じ様にしたので、金の腕輪を投げつけられ盾に埋められたタルペーイアは、その数と重みの為に死んだという。遺体が捨てられた崖はタルペイアの 岩とよばれ以後、ローマ時代の裏切者はのタルペイアの岩(rupes Tarpeia)の上から投げ落とされて処刑されたという。タルペーイアの岩から突き落とされることは極めて不名誉なこととみなされ、ある意味で単なる死 刑よりもひどい処刑方法だった。

ローマにはいまでもタルペイヤの岩(崖)があって表面に彼女の名前が刻まれている。こうした故事により「タルペイヤの岩にその名を刻まれる」という言葉は 裏切り 者という罪人に認定されるという意味に使われる。

ーバーバラ・W・タックマン「八 月の砲 声

歴史に登場する悲劇の女性に「カッサンドラ」がいる。

Rev. October 24, 2014


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