読書録

シリアル番号 914

書名

古墳の話

著者

小林行雄

出版社

岩波書店

ジャンル

歴史

発行日

1959/3/20第1刷
1984/6/20第29刷

購入日

2007/11/23

評価

岩波新書

鎌倉図書館蔵

難波・飛鳥・初瀬・山の辺の道を歩く旅から帰って古墳時代から日本国家統一までの歴史に興味をもって図書館から借りてきた本の一つ。

1959年の著作だから高松塚の壁画の発見前の古いものだ。しかし非常に広い視野で解釈しているので説得力がある。

ここでも銅鐸は九州にはなく、主として銅矛(どうほこ)、銅戈(どうか)、銅剣などの銅利器が造られていた。中国・朝鮮が文化的に高い位置にあったことから九州と他の地域には文化的落差があり、九州地域が畿内地域を併合する形で後の国家統一が行われたと考えるのが自然である。銅利器文化が銅鐸文化の上にたったということを神武天皇の東征の神話が示しているかもしれない。

畿内地域の中心である大和の地形が大河の河川水を灌漑に利用するに至らない初期の稲作農耕にとって、最良の環境を提供していたことは間違いない。広い平坦地に小さな数条の水流が行き渡っていた大和盆地の地形は他の追従を許さず、紀元前1世紀ころの弥生中期には九州はこの点で遅れをとり、青銅の輸入と消費の主体は大和で九州は大和の中継経済圏となっていた可能性はある。そこで著者は考古学的出土品という物的証拠から3世紀の邪馬台国は畿内の大和にあったという説を採っている。

馬は三世紀には日本に居たが、飼育し、乗用に供されるのは馬形埴輪が作られ、馬具の副葬されはじめた5世紀からとしている。応神天皇陵の陪冢(ばいちょう)の丸山古墳からである。日本書紀の記述とも一致する。


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