シリアル番号 | 913 |
書名 |
日本人はどこから来たか |
著者 |
斉藤忠 |
出版社 |
講談社 |
ジャンル |
歴史 |
発行日 |
1979/11/10第1刷 1996/2/22第20刷 |
購入日 |
2007/11/22 |
評価 |
良 |
講談社学術文庫
鎌倉図書館蔵
難波・飛鳥・初瀬・山の辺の道を歩く旅から帰って古墳時代から日本国家統一までの歴史に興味をもって図書館から借りてきた本の一つ。
1979年に書かれた古い本である。従って最新の研究成果は含まれていない。地球史から書きだし、人類発生、石器時代、縄文時代、米の伝来、日本語の成立過程を概説する。そして古墳時代に入るが 、著者は邪馬台国九州説をとる学者である。
これによると北九州の志賀島から出土した「漢委奴国王」の金印には「後漢書」にある「光武帝が西暦57年、倭の奴の国の王に印綬をさずけた」という記事に一致する。倭の奴の国はどこにあったかというと福岡県の筑紫郡にある地域で 、むかしは儺県(なのあがた)とよばれた地域とのこと。
さらに時代が下って「魏志」倭人伝に記された邪馬台国と卑弥呼はどこにいたのか?西暦239年に卑弥呼にさずけた金印には「親魏倭王」と書いてあるはず。これは未発見である。
大和に多い前方後円墳は4世紀から6世紀に沢山造られたが、卑弥呼の時代の3世紀にはなかったから九州説が有力となる。もし邪馬台国が大和にあったとしたら九州を平定していなければならないが、大和が日本を統一するのは大和に前方後円墳が造られた4世紀以降である。また3世紀に大和にあった銅鐸は九州には出土していない。すなわち大和の力は3世紀には九州におよんでいない。これによっても邪馬台国は大和にあったことにはならない。
邪馬台国が消えたとたんに大和統一国家が出現するのだ。4世紀中ごろの第10代崇神天皇以降の天皇は大和に実在した天皇であることははっきりしている。それ以前の初代神武天皇などは神話の中の天皇であ る。しかし神話には九州王朝の記憶も反映しているかもしれないとしている。
5世紀前半には崇神天皇(すじんてんのう)が四道将軍を、景行天皇(けいこうてんのう)が日本武尊(やまとたける)らの皇族を国内平定のために各地に派遣した。宋書には5世紀の西暦478年に倭王武(わおうぶ 雄略天皇)が武力で日本を統一したと報告しているし、崇神、景行、仁徳各天皇ばかりでなく、地方に派遣された皇族も同じ仕様で巨大な前方後円墳が造営されている。