読書録

シリアル番号 724

書名

ザ・ジャパニーズ

著者

エドウィン・O・ライシャワー

出版社

文芸春秋

ジャンル

歴史

発行日

1979/6/10第1刷
1979/9/5第12刷

購入日

2005/11/29

評価

鎌倉図書館蔵

松原久子の「驕れる白人と闘うための日本近代史」を読んだまえじま氏が「かって読んだライシャワー氏の本著を再度ひもといてしまった」とメールをくれたので図書館で借りてくる。本書は世に出たころは猛烈社員だったため本書を読む時間がなかったのである。国広正雄氏の訳はこなれた日本語で初読みやすい。ライシャワー氏はとてもよくバランスのとれた論を展開していてスッと頭に入ってくる。

松原久子の「驕れる白人と闘うための日本近代史」では徳川時代は農民はもとより大名にも所有権はなく、将軍の徳川家から単に支配権を付与されていて問題があればいつでも土地上げられるようになっていたと解釈していたので、ライシャワー氏がどう書いているか特に興味を持って読んだ。

彼は徳川時代は集権的封建制度(centralized feudalism)の典型でヨーロッパの分権的封建制度(decentralized feudalism)と好対照をなすとさらっと書いている。制夷大将軍たる家康は日本の国土を自分の直轄地と臣下の領土とに分割し、諸藩は幕府に税を納める必要はなかった。だが諸藩は勝手にその領土を処分することはできなかった。士農工商の身分制の下に農だけが租税をおさめる義務を負っていたため才覚ある農民は換金商品作物への転換とか自分の所有地(their land)の大半を小作に出して自身は農産物の加工に精力をそそぐことも少なくなかったとしている。この指摘は松原久子女史と同じだ。

たまたま1982年の25刷版の英文の原著が妻の蔵書にあったので、肝心の所有権に関しては国広正雄氏の訳と原文を対比してみた。国広氏の翻訳で農民の「自分の所有地」としている箇所は原文ではtheir landとなっている。their landはかならずしも西洋並みの所有権を意味していないと思われるが、「自分の所有地」と訳されると明治以降に取り入れられた"ソアソンの花瓶"の逸話に見られるような西洋流の所有権と同じように感じられまぎらわしい。どうも日本の歴史家はここら辺の区別を明確にしないで歴史書を書いていてミスリーディングではないかと思う。国広氏もつい国内の歴史家の用語に引きずられたのではないか。


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