読書録

シリアル番号 631

書名

復元イラスト 中世の城と合戦

著者

藤井尚夫

出版社

朝日新聞社

ジャンル

歴史

発行日

1995/7/1第1刷

購入日

2004/06/05

評価

鎌倉図書館蔵

本職が工業デザイナーである著者が趣味として30年間継続した日本各地にのこる中世の城跡を鳥瞰図として復元したものである。

巻末に”戦国大名と「後詰(ごずめ)決戦」の戦略”という氏の考察が付せられてこれが、秀逸である。

後詰とは後巻(うしろまき)ともいう。戦国大名が周辺の小領主を取り込み領土を維持してゆく戦略として自分の城は山城にして難航不落を期すが、領地周辺に配置する小領主が守る城は平城にして簡単には落城しないように規模も大きくしておく。万一、隣国から攻撃を受けこの城が包囲された場合、大名自ら配下の他の小領主をかき集め援軍を差し向け、周りの平地を使って「後詰決戦」を行い雌雄を決し、領土を守るという戦略のこと。このように中世には集団安全保障体制を構築していた。武田信玄も織田信長もこの戦略を採用した。しかし徳川家康が遠州の高天神城を半年にわたり兵糧攻めにしたとき武田勝頼は後詰めを行なわなかった。戦国大名が臣下に対する後詰め義務を履行しなかったので、盟主に値しないと臣下に見放され、内部崩壊して高天神城落城後1年にして武田氏滅亡となる。

後詰決戦前に落城しそうなマイナーな枝城は城割(しろわり)といって、城を破壊して、後詰保証に耐えるものだけを残した。城割された城を含め、現在3万の城が、調査対象として存在するという。弥生時代の環濠などを除く数字である。これはカスティーリアの城より多いのではないか。


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