読書録

シリアル番号 627

書名

文明の海洋史観

著者

川勝平太

出版社

中央叢書

ジャンル

歴史

発行日

1997/11/10初版
1998/8/25第5版

購入日

2004/05/19

評価

鎌倉図書館蔵。文明史を海から見る史観の提案。まずヨーロッパの海洋パラダイムについて俯瞰する。

●紀元前430年のペルシャとギリシアのサラミスの海戦でギリシアが勝ち、ギリシアは海洋国家となる。・・・ヘロドトスの「歴史」記載。

●こうして古代において地中海はローマの湖となった。だが地中海がイスラムの湖水になってからヨーロッパはそこから締め出された。733年の「トゥール・ポアチエの戦い」でヨーロッパはピレネーでようやくイスラムの侵攻をとめることができた。 イベリア半島を占領したウマイヤ朝がフランク王国侵攻を企て敗れたのである。ブルゴーニュ地方は一時支配下に置かれたという。鐙(あぶみ)を知らなかったフランク騎兵が、優れたイスラム騎兵の馬の鐙を採用したのもこの戦いの後であったという。鐙はモンゴル軍の発明だが、イスラムはいち早くこのイノベーションを採用して軍事強国になったようである。

陸地に封じ込められたヨーロッパは、文化的に統一された。イスラームなくしては、フランク王国は存在しなかったであろうし、マホメットなくして、 シャルルマーニュ(カール大帝)は考えられない。土地のみが唯一の富の源泉となったが故に封建制が生まれた。ローマ文明は決して北の蛮族によって破壊され たのではない。・・・アンリ・ピレンヌの「マホメットとシャルルマーニュ」

●イベリア半島からイスラム勢力が駆逐され、1571年10月7日のレパントの海戦を機にヨーロッパは地中海の制海権をイスラムよりとりもどし、海 洋志向に目ざめる。歴史の中心は地中海から大西洋に移る。こうして中世は終わり近世にうつる。・・・ブローデル「レパントの海戦」。この過程でインド亜大 陸のイスラム帝国、ムガール帝国は英国によって植民地化され、インド洋はイギリスの湖となった。1947年のインド独立に際し、イギリスは巧妙にイスラム 教徒をパキスタンとバングラデシュに追放した。

日本社会も海洋志向と内陸志向の時代を交互に繰り返している。

●奈良時代以前の倭の国の時代は海洋志向であった。しかし663年の白村江(はくすきのえ)の海戦で唐に負けてからは内陸志向が鎌倉時代まで続く。

●1274年11月3日の元寇の失敗で中国がシナ海の制海権を失い、倭寇の跳梁する海洋志向の時代がくる。海洋志向は室町時代も継続されるが、 1592-1598年の秀吉の朝鮮出兵の敗北以降、江戸時代を一貫して内陸志向になる。中国では南船北馬といわれるが日本では西船東馬である。

●明治期に海洋志向になるが、1941-1945年の太平洋戦争の敗北で内地志向になった。

ヨーロッパを代表するフィリペIIがレパントの海戦でトルコに勝って外向きの解放経済体制に移行したが、フィリペIIと同年に死んだ豊臣秀吉が明征服に失 敗し、徳川時代に内向きになった違いがあるが、両者とも生産革命を経験し、ヨーロッパはイスラム文明の海域である環インド洋のダウ船の海洋イスラムから自 立し、日本は環シナ海のジャンク船の海洋中国から自立した。

著者の論は明快でグリーンウッド氏好みであったが、NHK BSで1985年 オックスフォード大学で「木綿の世界市場の分析」 でPh. D. を取得したと紹介があった。木綿の太さで英国はインド以西、日本はアジアと市場で競合することなく経済的な成功を収めたという論のようである。

川勝家は亀岡市旭町出身で秦氏の流れを汲むとされるので国際的な視野があるのだろうか?

その後、静岡県知事となり、浜岡原発の命運を握る男になった。

Rev. April 27, 2013


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