読書録

シリアル番号 598

書名

日本/権力構造の謎 上下

著者

カレル・ヴァン・ウォルフレン

出版社

早川書房

ジャンル

社会学

発行日

1994/4/15

購入日

2003/09/15

評価

原題:The Enigma of Japanese Power by Karel van Wolferen

在日30年のオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンの本は1996年に「民は愚かに保て」と「日本の知識人へ」を読んで大変感銘をうけた。「日本/権力構造の謎」はこの前、1988年に英文で書き下ろされ、1990年にはペーパーバック本となり、日本語に翻訳されて1994年には文庫本になっていたが、いまだ読んではいなかった。鎌倉図書館で見つけ読む。この本によりウォルフレンはクライド・プレストウィッツ、ジェームズ・ファローズ、ロバート・ネフと共にレビジョニスト4人組とよばれる。

この本を一言で要約すれば、日本の権力は、自律的でかつ、なかば相互依存的な多数の組織に分散されていて、それらは主権者としての選挙民に対して責任を明確にすることもなければ、互いの組織の間に究極的な支配関係もない。政府のさまざまな活動に、このような組織すべてが関わっているが、ある組織が他の組織に命令を下すことはありえない。どの組織ひとつとってみても、国の政策の最終責任をとったり、緊急を要する国家問題について決定するだけの力はない。しかし日本は、たとえばアメリカ社会のような、おびただしい数の協議会や政府機関、委員会、裁判所などに権力が分散された社会とはちがう。アメリカの場合、どれだけの数の機関があっても、指令の流れる明確な経路があるし、逆に国民はその経路をたどって中心まで自分達の意志を伝え、政策を作らせたり実施させたりすることもできる。日本はまた非常に強い利益団体が政治中心の権力をそいでしまっているという点で、西欧の社会とも違う。というのはヨーロッパの政府の閣議は、政策のイニシャチブを取るし、究極的に、決定も下す。日本ではさまざまな、統治グループが、だれに支配されることもなく存在している。

たとえば日本人は満州国を「われわれの植民地」だったとは思っていない。それは陸軍の植民地だったのだ。丸山真男が日本の軍国支配における無責任構造を描いて「日本のあらゆる組織の指導層は自ら状況に対する政策を決断する自由な主体ではなく、「非規定意識」しか持たない個人である。弱い精神しか持たないエリートは、空気に同調したことについて誰も責任をとろうとしない」といっているが、そういう仕組みになっていれば無理もないか。

日本には責任の所在が明確な国家は存在せず、システム、すなわち民主的な政治の調整力の範囲を超える権力機構が存在するということになる。このシステムはそれに参加している日本人ですら概念的にとらえることもできず、変えることもできず、意識すらされない。それどころか法に照らしても正当性がない。

どうしてこうなったかというと日本の権力保持者は、これまで何世紀にもわたり、自分を脅かしうる集団を無力化するというワザに磨きをかけてきたためである。藤原氏、北条家、豊臣秀吉、徳川家康、明治の寡頭政治家みなそうである。


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