読書録

シリアル番号 435

書名

マネー敗戦

著者

吉川元忠

出版社

文芸春秋

ジャンル

経済学

発行日

1998/10/20第1刷
1999/3/20第11刷

購入日

1999/11/20

評価

旅の慰みにと東京駅で買い求めたものである。過去20年間の生々しい記憶を整理してあるので一気に読破してしまった。円高に苦しみ、バブル破裂後のデフレ経済に苦しんだ者にとって読後感はまことに慙愧なる思いであった。

以下要約する。


工業化による豊富な経常収支の黒字を対外投資にふり向ける資本輸出国になった国を時代順にあげれば英国、米国、日本である。

ここで経常収支とは貿易収支に海運などのサービス収支や投資収益を加えたものである。

19世紀半ばに産業革命を完成した英国はすでに製造業の競争力にかげりが出て貿易収支は赤字であったが、サービス収支や投資収益が大きく、経常収支は黒字であった。ということは自国通貨のポンドを基軸通貨として国際的に散布し、回収するチャンネル構築が出来ていたことになる。これをビクトリア循環という。シティー(ロンドン金融市場)とポンドの守護神イングランド銀行が世界の銀行として機能した。

このようにして成熟債権国となり、パクス・ブリタニカといわれる覇権国となった英国も第一次大戦と1929年の世界恐慌により、債権国としての地位は後退し、第一次大戦の圏外にあった米国が資本輸出国としてとって変わる。第2次大戦中の対欧軍事援助も第2次大戦後のマーシャルプランという復興援助もドル建てで行った。IMFを設立したことも全て米国が基軸通貨をドルとするために巧妙に仕組んだものである。戦後のブレトンウッズ体制(マウントワシントンホテル)では金ドル本位制が採用される。加えて米国は国内市場の対外開放に踏み切った。ドルを散布する仕掛けは多国籍企業による直接投資である。化学、石油、自動車の生産、販売拠点のヨーロッパへの進出である。かくして1950-60年代米国を中心とするビクトリア循環が流れはじめ、パックス・アメリカーナは確立した。

しかし、早くも、1960年代のケネディー時代にアメリカからの資本流出も始まり、ニクソン時代の1971年にアメリカの貿易収支は一瞬赤字になる。1971年ニクソンによりドルの金交換が停止され、ドルはついに不安定な基軸通貨となり、スミソニアン体制という固定相場制への試みも挫折して世界は変動相場に移行した。

日本は債権国だけがなし得る円をドルに代わる基軸通貨にする意図を持たなかった。不安定なドルリスクを避けるための危険分散もせず、金ドル本位制が健全であるかのごとくドルと付き合いつづけた。

ベトナム敗戦とカーター時代のイラン革命でアメリカの威信が傷つくとドルはたちまち下落し、1980年代のレーガン時代には経常収支すら赤字になり、1983年には米国は世界最大の債務国に向かって転落しはじめる。米国は経常を埋めるために海外からの投資を受け入れることになる。1979年ボルカーが米金利を引き上げ、日本はこの金利差に誘われるごとく貿易黒字で得た金で米国債を買った。こうしてドルは再び高くなった。こうしてドルは基軸通貨然として世界に流通し続けた。日本から流入した資本の余剰分を中南米に循環させる擬似ビクトリア循環を行った。これを「帝国循環」と呼ぶ。日本が米国経済に組み込まれた日米一体の帝国循環である。邦銀は短期借り・長期貸しまでした。これが後のジャパンプレミアムの原因となる。

さて経常赤字に耐え切れなくなった米国は貿易不均衡是正のために、1985年、プラザ合意でドル高是正を打ち出し、協調介入によりドルは暴落。しかし、クルーグマン教授のヒステリシス仮説のように米国の輸入は止まらなかった。日本のマネー部門では大きな為替差損がでたにもかかわらず、金利差を維持するための日本側の協調利下げによって米国国債購入は継続された。結果として低金利の日本でバブルが発生した。この含み益も米国に流れた。1987年のグリーンスパンが利上げをしたとたんブラックマンデーが発生した。この時、すでに日本はドルを支え続けるより方法が無い状態に追い込まれていた。為替リスクの少ない実物投資も行われたが、米国市民の反発は大きかった。

米国はBIS規制で日本の銀行を更に追い込んだが、邦銀はエクイティーファイナンスで逃げた。ブッシュが登場した1989年、日本はバブルつぶしのためようやく低金利政策を放棄してバブルは急速にしぼむ。かくしてドル建て投資のリスク負担の最後のリスクヘッジのよりどころも失った。ジャパンマネーを失った米国の経常収支の穴埋めをしたのはアジア、ラテンマネーであった。

クリントン時代は安いドルは米国の輸出力を向上させ、製造業の復活につながった。バブル破裂後、日本は超低金利時代に入ったが、金利差のため、米国への投資の流れは継続している。これが「新帝国循環」を形成し、アジア通貨危機を発生させた。アジア通貨危機はアジアがドル圏であったため、その中に日本が直接投資という形で円圏成立のために構築した努力も無に帰し、日本経済は深い傷を負った。

資本輸入国が資本輸出国の通貨建てで起債するのが資本輸出の基本である。英国はポンド、米国はドルであった。ドイツはユーロマルクによる起債を中軸とした。スイスも自国通貨での起債が原則である。こうしてフランクフルトが国際資本市場として育った。

日本では円建て起債市場がなぜ育たなかったかったのかというと、明治期に銀行主体で法制化した担保付き社債信託法という法の下に受託銀行がその権益を手離さかったことと、1942年の戦時立法による社債登録制度ができ起債手続きが煩雑でコスト高であったためである。日本が資本輸出国になってからも銀行の利権を守るために債権市場の規制緩和が遅れた。規制緩和により日本の債権市場が作動していたならば、クリントン時代のドル暴落による為替差損もアジア通貨危機もなかっただろう。

ベビーブーマーが引退する2010年にドル危機が発生する。今後の日本が取るべき選択は円建てによる資本の輸出、円建てによる貿易システムの構築であるが。もう遅すぎるかもしれない。その場合であっても、ドル以外の多様な通貨への分散投資、ユーロへの参加も考えなければならない。


1999年当時の感想

現実に発生したことはまことにここに書かれている通りである。しかし提案された対策はこれで良いのか?貿易の基軸通貨を円にするだけで事は解決するのか?円を基軸通貨にするためには円起債を容易にしなければならず、債権市場の一層の規制緩和が必要になる。ところが日本で銀行の既得権益を無くそうという動きがないのはどうしたことか。

クルーグマン教授が指摘しているように流動性トラップに陥って、ゼロ金利を続けている日本の銀行が 金利の高い米国債を購入し続けたことが、結果として円安を維持して米国への輸出を継続させ。流出したドルを米国に帝国循環させて米国の経常収支が赤字のまま継続することを助けた。

しかし日本が米国国債を買い続けることを止めて他の通貨国への投資に切りかえることができるのかとの疑問が生じた。再度「クルーグマン教授の経済 学入門」を読みなおした。また最新の「世界大不況への警告」も読むと本書は最新の経済学を無視していることがわかる。

結論は為替レートは本質的ではない。資本フローが重要。したがって基軸通貨が何であれ、金利を上げて資本フローが米国に向かわないようにすればよいと思われるが流動性トラップに陥っている日本でできるわけが無い。まずインフレ期待を作って流動性トラップから出るのが先であろう。米国との貿易黒字を無視して他の国に投資などすれば世界経済がおかしくなるであろう。

基本的には生産性を上げる。または貿易経済下では輸出品を高くしても買ってもらえるだけの魅力ある商品を開発して高く売るということしかないようだ。

円での起債が可能なようにして為替リスクを双方向にするという提案はより自由度が増してよいことではあろう。


2008年のクラッシュ時の感想

2008年10月に日米が無理を重ねて維持してきた円安も資産バブルを生み、資産バブルの破裂が円安という虚構を爆破し、潜在していた円高が現実のものとなり、2008/10/24にはドル95円 を割り込み、ユーロ120円に高騰した。まだドル70円位まで高騰するだろう。これで輸出に頼る日本は不況に沈むだろう。帝国循環は停止し、ドルの流動性は失われる。いまこそ 円建てによる資本の輸出、円建てによる貿易システムの構築の絶好のチャンスなのだが。

2008年10月のクラッシュ後のポール・サムエルソンの総括は高所からみた卓見なのであろう。

Rev. October 25 2008


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