読書録

シリアル番号 1334

書名

最後の30秒 羽田沖全日空機墜落事故の調査と研究

著者

山名正夫

出版社

朝日新聞社

ジャンル

技術

発行日

1972/2/25第1刷
1974/4/20第3刷

購入日

2018/03/20

評価



加畑氏蔵書。

著者は原因究明委員の一人。

安井氏に貸し出したものを又借り。たまたま福島原発は津波ではなく、地震でこわれたとの立場に立つ草間氏が「マッハの恐怖」とこの本に言及したため借りた。マッハの恐怖は読んだ記憶がある。しかしこの本は全く知らなかった。

加畑氏は正しいと思われる原因だけでなく、他の原因と思われる事項のすべてを否定して初めて完結するという「理系」のアプローチの拘りを知ったた思いで読んだ記憶が有るという。

私が羽田沖墜落事故について思い出せるのは、1982年のJAL350便のDC8の墜落事故だ。これが精神の平衡を失ったコパイロットの発作だった。当時 私は船舶操縦士免状を取得するための訓練をJALのコパイと一緒に講習を受講していた時、彼が「ジャンボ機の操縦席に座って羽田の滑走路に進入する時、 「下の障害物と車輪の間にまだ20mのクリアランスがある」と分かっていても足がペダルから思わず上がってしまうと聴いたことが強烈だったためだろうが、 本件の記憶は全くない。なぜだろう?

本著は1966/2/4の全日空60便の墜落事故についての一見解という形式をとっている。事故機はボーイング727型機だ。当時はまだボイスレコー ダー、フライトデータレコーダーが搭載されて居なかったため、墜落原因の解明には時間を要した。ところが4年目にでた正式報告書では原因不明とされた。

この本は「機体の不具合、もしくは設計ミスのためにグランド・スポイラーが立ったため、機首を引き起こし、主翼から剥離した乱流でエンジンの異常燃焼が起き高度を失い墜落したのではないかと明確に主張するものである。

製造元のボーイング社の技術者を中心としたアメリカ側調査団は「機体の不具合や設計ミスがあったとは確認されず、操縦ミスが事故原因と推測される」と主張し続けた。

事故調査をめぐり事故技術調査団が紛糾した。事故技術調査団の山名正夫教授が、事故後早い段階から、操縦ミス説を主張する団長・木村秀政日本大学教授らと 対立し、1970年1月に辞任した。これらの事故調査団内の対立と、内幕・事故調査の進展は、当時NHK社会部記者で事故についての取材を行った柳田邦男の『マッハの恐 怖』に詳細に記されている。

事故の2年後の1968年7月21日に日本航空の727-100型機 (JA8318) で、本来は接地後にしか作動しないグランド・スポイラーが飛行中に作動するトラブルが発生し、その原因が機体の欠陥にあることが判明した。これを受け、事 故機でもグランド・スポイラーが作動した可能性の調査が行われ、山名教授は模型による接水実験と残骸の分布状況から接水時の姿勢を推測し、迎え角が大きく なると主翼翼根部で失速が起き、エンジンへの空気の流れが乱れ異常燃焼を起こすことを風洞実験によって確かめ、「機体の不具合、もしくは設計ミスのために グランド・スポイラーが立ったため、機首を引き起こし、主翼から剥離した乱流でエンジンの異常燃焼が起き高度を失い墜落したのではないか」というレポート を様々な実験データと共に調査団に報告した。しかし、最終報告書案ではそれらを取り上げずに終わった。

本書には山名正夫の名前のない正式報告書が添付されている。

ここまで読んで木村秀政が人生の最後でミソをつけ、私にとって彼の後光が消えた事件だったという記憶を思い出した。操縦ミスといういい加減な内容 でごまかそうと設計ミスを主張する山名氏を切ったのは米国との対立を避けたかった政府の判断に唯々諾々としたがう御用学者だったからか。その後、日本は長らく 旅客機の製造には乗りださなかったこととも符合する。老害か、はたまた「功なり名遂げた理系男の文系化」とでもいえる現象か、いや現場から離れた人間が暗 黙知を失う現象ともいえる。

YS11以降、長期間、国産機の開発を自粛し、最近になってMHIがようやく重い腰をあげたが経験ある技術者が育っておらず中型機の開発で苦労しているのもその結果だろう。じっくりと取り組んだホンダが小型機で成功しているのと好対照。

この本は当時として2,000円もする豪華本で朝日新聞の真実探究にかける意欲を感じるものである。


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