読書録

シリアル番号 1284

書名

ヒトはどこまで進化するのか

著者

エドワード・ウィルソン

出版社

亜紀書房

ジャンル

進化論

発行日

2016/7/9第1刷

購入日

2016/07/19

評価



原題:The Meaning of Human Existence by Edward O. Wilson

生物学者にして社会生物学の創始者であるハーバード名誉教授晩年の著書。アンソニー・ギデンスの「社会学」にも紹介されている。

日本語のタイトルは適切ではない。

生物学→先史学→歴史学は一体であり独立では意味をなさない。したがって人文科学と科学の二大分野を統合しなければならない。

人間の創造性の大部分は個体レベルと集団レベルの自然選択の間の不可避かつ必然的な葛藤から生じた。この解釈が示唆する知の統合は、自然科学も人文科学も 土台を同じにするという考えがあるからだ。かってそれは啓蒙主義と呼ばれた。しかし1800年代前半には科学はその当時、啓蒙主義者が期待するほど進歩し ていなかったこととロマン主義文学の創始者たちは啓蒙主義的世界観の偏見を拒否し、個人的なところに意義を求めたため、双方は2世紀にわたり分裂したままで ある。

創造的思考の初期段階、それも重要なものは、専門家のジグソーパズルからは生じない。最も成功する科学者は考えるときは詩人のごとく広範にかつ、ときに空想的だが、いざ仕事にかかれば一転して帳簿係を思わせる。世間に見せるのは後者の顔だ。

芸術とそれを分析する人文科学の学問分野の大半は、ときとして衝撃的な効果をもたらしはするが、ある重要な意味で相も変わらず、同じ物語、同じテーマ、同じ原型、同じ感情に終始している。それでも読者は気にしない。

文化の進化が生物の進化と異なる理由は、それが完全に脳の産物だからだ。人間の脳は先史の旧石器時代に遺伝子・文化の共進化(遺伝的進化と文化的進化がそ の過程で互いに影響し合うこと)と呼ばれる非常に特殊な自然選択によって進化した。脳ならではの能力は、おもに前頭皮質の記憶貯蔵庫に宿っており、200 万年前から300万年前のホモ・ハビリスの時代から6万年前にその子孫であるホモ・サピエンスが世界中に広がるまでに出現した。

文化の進化を私たちがやるように内側から見るのではなく、外側から見て理解するためには、人の心の複雑な感情と構造を全て理解しなければならない。そのた めには人々とじかに触れ合い、無数の個人の歴史を知る必要がある。そうすれば、ある考えがどのようにして象徴なり人工物なりに変容されるのかが分かる。以 上はすべて人文科学の仕事だ。人文科学は文化の自然史であり、人類の最も私的で貴重な遺産である。

集団内では利己的なメンバーが勝利するが、集団間レベルでは利他的な集団が利己的な集団を出し抜く。

人間の社会は協力と労働の専門化と頻繁な利他的行為がカギになって形成される。しかし社会性昆虫がほぼ本能だけに支配されているのに対し、私たち人間の分 業は文化の伝搬に基づいている。また社会性昆虫と違い、人間は利己的すぎて生命体の細胞のようには振る舞えない。ほぼ全ての人間が自分で運命を切り開く。 自分の子孫を残すこと、あるいは少なくともその目的にかなう何らかの性的行為を楽しむことを望む。奴隷制には常に反抗し、ワーカーのような処遇に甘んじる ことはない。

自由意志は存在する。究極の現実ではなくとも、少なくとも正気を保ち、それによって人間が永遠に存在するために必要な機能という意味で、自由意志は確かに存在する。

科学の知識と技術は今後も指数関数的に増え続ける、分野によって10年から20年毎に倍増するが、ペースダウンは避けられない。新規な発見は広大な知識を 生み出してきたが、発見のペースは鈍化して減少に転ずるだろう。数十年以内にテクノサイエンス文化の知識は言うまでもなく現在に比べて膨大になるが、それ は世界中どこへいっても同じだ。今後も進化し、多様化しつづけるのは人文科学だろう。人類という種に魂があるとすれば、その魂は人文科学のなかに生きてい る。

自然科学と人文科学とでは、研究の対象も仕組みも根本的に違っている。それでも本来は互いを補うために生まれ、人間の脳の同じ創造プロセスから生じてい る。自然科学の発見し、分析する力に人文科学の内省的創造性が加われば、人間の存在は高められ、どこまでも実り多く興味深い意味をもつものになるはずだ。

Rev. July 31, 2016


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