読書録

シリアル番号 1271

書名

シュンペーター伝 革新による経済発展の予言者の生涯

著者

トーマス・K・マクロウ

出版社

株式会社 一灯社

ジャンル

伝記

発行日

2010/12/24第1刷
2011/3/26第2刷

購入日

2016/03/8

評価



原題:PROPHET OF INNOVATION: Joseph Schumpeter and Creative Destruction by Thomas K. McCraw 2007

鎌倉図書館蔵

舞台はウィーンのため懐かしく読む。著者はハーバード大経営大学院の企業史名誉教授である。したがって著名な経済学者であるシュンペーターの伝記もさるこ とならが、ハプスブルグ家支配下のオーストリー・ハンガリー帝国の没落とドイツ語系地域の関税同盟と第一次世界大戦が克明に描かれる。

幼くして父を亡くしたが、ビジョンを持っていたシュンペーターの母ヨハンナが、チェコのドイツ系の豊かな一族の土地にとどまることを選ばず、ウィーンに移住し、引退将校と結婚し、息子をウィーンの一流校に入れてウィーン大学で最高の教育を授けた。

シュンペーターは「創造的破壊」という概念を確立した初めての人。企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築 した。英国の・アダムスミスが始めジョンスチュアート・ミルが完璧に仕上げた古典派の経済学はデービッド・リカードによって更に発展させられた。リカード は農民 が最初に一番良い土地を耕し、最後に残る土地の生産性は悪いため収穫逓減の法則なるものを見つけ出した。しかし、当時の産業革命では規模に関しては収穫逓 増を経験していたのに見逃した。プロテスタントの倫理の効用をみつけたのはドイツの社会学者のマックス・ウェーバーであった。

シュンペーターはイギリス好きでかつドイツ嫌いだった。そのシュンペーターはツェルノヴィッツ大学准教授、次いでグラーツ大学の経済学部の教授となり、第一次大戦後、友人の推挙で36才にし てオーストリーの財務大臣になる。しかし彼のプランは連合国が許さなかったし、巨額の賠償で数か月で閣外に放り出される。

教授職をやめ銀行経営を行い、巨額の富を築き、かつ破産を経験する。

結局学会に戻り、1925年 ボン大学の教授に就任したのち、1927年にはハーバード大学の客員教授を引き受け、1932年には正教授に就任。 弟子にポール・サミュエルソンやジェームス・トービンがいる。

主著『資本主義・社会主義・民主主義』では、経済が静止状態にある社会においては、独創性あるエリートは、官僚化した企業より、未開拓の社会福祉や公共経 済の分野に革新の機会を求めるべきであるとした。そして、イノベーションの理論を軸にして、経済活動における新陳代謝を創造的破壊という言葉で表現した。 いかなる企業も、どれだけ長い期間繁栄してきたかとは無関係に、永続的な豊かさを当然視することはできない。消えていった企業としてデジタル・エクイプメ ント、パン・アメリカン航空、プルマン、ダグラス航空、ペンシルバニア鉄道を思い出すだけで十分。ぼっ興してきた企業群としてはマイクロソフト、デル、 アップル、ヒューレット・パッカード、インテル、オラクル、シスコ・システムズ、アマゾン、グーグル、ヤフー

資本主義は、成功ゆえに巨大企業を生み出し、それが官僚的になって活力を失い、社会主義へ移行していく、という理論を提示した。マーガレット・サッ チャーは、イギリスがこのシュンペーターの理論の通りにならないよう常に警戒しながら政権を運営をしていたといわれている。

資本主義経済ではイノベーションの実行は事前に資本を必要とするが、起業者は既存のマネーを持たないから、これに対応する通貨は新たに創造されるのが本質 であるとシュンペーターは考えた。すなわちイノベーションを行う起業者が銀行から信用貸出を受け、それに伴い銀行システムで通貨が創造されるという信用創 造の過程を重視した。貨幣や信用を実体経済を包むだけの名目上の存在とみなす古典派の貨幣ヴェール観と対照的である。

人生のパートナーとしては学者として駆け出しのことは英国人のグラディスと結婚したが第一次大戦でグラディスは英国に帰国して行き別れ、財務省時 代に若き頃の下宿屋の娘アニーが成長して美人になっていたためこれと再婚したが、産褥で失う。母ヨハンアも同じころ亡くなる。ボン時代は秘書として若いミ ア(マリアの愛称)・シュテッケルを雇った。同棲したが身勝手にも結婚することはなかった。アニーを忘れることができなかったためである。それでもシュン ペーターがドイツを去ったのち10年間ミアはシュンペーターに毎週手紙を書き続けたのである。交換された書簡はかなりこの本で引用されている。シュンペー ターは金銭の支援で応えた。ミアはついにあきらめて、別の男と結婚したが、ナチの家族ともども銃殺された。ハーバードでは経済学 者のエリザベス・ブーディ・フィルスキーを会う。一度結婚に失敗しているエリザベスは自分こそ知的なものを含め、シュンペーターを支えられると確信して シュンペーターを口説き、結婚し、シュンペーター死後、家を売ってその全集を出版した。

マルクスの女中デムートとの庶子、ケインズの同性愛、そして何人もの女性に愛され、奉仕されたシュンペーター。

Rev. April 1, 2016


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