読書録

シリアル番号 1255

書名

古代史の謎は「鉄」で解ける 前方後円墳や「倭国大乱」の実像

著者

長野正孝

出版社

PHP新書

ジャンル

歴史

発行日

2015/10/30第1刷

購入日

2015/12/17

評価



上野駅構内の書店にて求む

著者は名古屋大学工学部卒、国土交通省港湾技術研究所長

長浜浩明著「日本人ルーツの謎を解 く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった」という展転社の本の内容に興味を持っていたため、店頭で衝動買い。

水運から見た日本史で、かなりユニークであるが説得力がある。古墳時代は日本に製鉄技術はなかった。したがってこれを輸入しなければならない。それを行っ たのが古墳時代の倭人。手漕ぎ船で朝鮮半島と九州北部と山陰の日本海岸を港から港へ横移動した。海流と風に流れてもよいように西に移動し、メ骨(ぼっ こつ)祈祷で日を決めて船団を組んで一気に漕ぎ出した。卑弥呼はこのメ骨祈祷師、したがって邪馬臺国は山陰の日本海側にあった。「水行一 月、陸行十日」なのである。古墳は交換市が立つ場所に建造され、古墳の環濠は船溜まりとして使われた。丹後半 島、能登半島には運河があり、これらボートによる物資輸送に利用された。

瀬戸内海は半島から輸入した鉄素材が出土しない。出るのは日本海沿岸と信州から関東。瀬戸内海は森林と海賊が多く、通れなかった。したがって纏向には鉄は 届いていない。

瀬戸内海は物流の中心から離れていて、ここに港がたくさんできるのは倭の五王の時代だ。出雲から山を越え吉備にはいり、瀬戸内海に入った。大和の五大古墳 群にも運河ができてようやく奈良盆地に川船が到着するようになった。

鉄を半島から輸入するとき、対価は主として生口、すなわち奴隷で支払った。またはまれに姫 川のヒスイがつかわれた。姫川のヒスイは青森の三内丸山遺跡にま で達していたのである。


Rev. December 28, 2015


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