読書録
シリアル番号 |
1202 |
書名
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大平正芳 「戦後保守」とは何か
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著者
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福永文夫
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出版社
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中央公論新社
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ジャンル
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政治
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発行日
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2008/12/20
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購入日
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2014/06/23
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評価
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良
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中公新書
著者は獨協大教授。
大平は良質の政治家という評価だ。香川県の貧しい農家に生まれたが一橋大卒業後は大蔵官僚として敗戦と占領政策に向き合った。上司の池田勇人の影響を受け
て政治家に転身。。若くして官僚に転身したのは官僚では飽き足らず、自ら目的を設定し、その目的を追求する権力をもつためだったろう。大平は「官僚主導国家の失敗」に書かれた通りの一生をたどったといえる。すなわちそれは失敗した官僚天国を完成するためのものだったといえるだろう。
宏池会のトップになって1971年9月に立ち上げた政策研究に田園都市構想がある。大平の問題意識は国土の3%に国民の半分が住むことの弊害を改善したかったようだ。田園都市構想とは1898年
にイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した新しい都市形態というものだろう。第二次世界大戦後のイギリスのニュータウン政策のみならず、日本をはじめと
する世界各地における郊外型の都市開発などにも大きな影響を与えた思想である。その胆は田園都市には職場を持たせ自律的な都市とすることにあった。ハワードの提案は、人口3万人程度の限定された規模の、自然と共生し、自律し
た職住近接型の緑豊かな都市を都市周辺に建設しようとする構想である。そこでは住宅には庭があり、近くに公園や森もあり、周囲は農地に取り囲まれている。
不動産は賃貸し、不動産賃貸料で建設資金を償還するので、都市発展による地価上昇利益が土地所有者によって私有化されず、町全体のために役立てられるとい
うものだった。しかし実際にイギリス以外に建設された郊外都市の多くには職場がほとんどなく、田園都市の美名の下、いわゆるベッドタウンであり理論どおり
職住近接の自立した都市や住民によるコミュニティが実現する例は多くない。田園都市構想は田中角栄の日本列島改造論になるがこれも田中の金権政治で挫折し、大平はようやく天下をとるが、直後に心筋梗塞でなくなり田園都市構想は永遠についえたのである。
私が田園都市線沿線の宅地を東急から購入したのは28才のころだから1966年である。したがって大平の政策研究の7年前である。一民間企業の東急がハ
ワードの構想を実現できるわけでもなく、市街地開発による利益で路線を建設するとい
うハワードの構想とは似て非なるものだった。すなわち構
想の胆を抜いた型だけのものだった。公園も形ばかり用意されてはいるが職場は無論ない。したがって時代変わって人口減に転ずると田園都市線沿線も人口減が
生じて、空家がふえているそうだ。特に集合住宅に顕著であるという。栄華ははかなくしぼむもの。かくして日本は社会インフラ未整備のまま、未熟児のままに
痩せ衰える運命にあるようだ。
資料 大平政権下、政策研究会メンバー表はあって田園都市構想研究グループ'(1980/7/7)の研究員としてK大蔵省大臣官房秘書課長がでてくる。
Rev. June 27, 2013