読書録

シリアル番号 1188

書名

権力と支配ー政治社会学入門ー

著者

M・ウェーバー

出版社

有斐閣

ジャンル

政治学・地政学・行政学

発行日

1967/3/20第1刷
1981/3/30第16刷

購入日

2014/04/18

評価



原題:Typen Der Herrschaft by Max Weber

鎌倉図書館蔵

エドウィン・O・ライシャワーの円仁の旅についての本を図書館に借りにいったがすぐ手に入らず、その間に読もうと社会学の古典を借りてきた。

私が「米国の社会学者バート・ホゼリックが1950年代に提唱した仮説「境界人仮説」はインサイダーでありながら「端にいる」人間が構造を大きく変貌させ るという仮説がある。内部者なので責任感があり、会社から逃げない、しかしど真ん中でないので支配的な文化・常識にとらわれず既存文化に埋没しないという もの。最近の日本の組織は効率効率と中央の統制ばかり強くなって端がなくなった。したがって何もでてこない。文系経営者やMBAの弊害だろう。京大の山中 教授もジャマナカと言われていたわけだし、ジョッブスというアップルの中心にいる人間が端っこにいるように行動するなんてまさに奇跡」と言ったのに対し、 望月氏が「米国の社会学者バート・ホゼリックのこのアイディアは、おそらく、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーのツメのアカを煎じて飲んだ結果ではな いかと思われます。確認したいです! しかし、いまは時間がありません!」と言ってきた。この言葉が気になっていたので図書館の書庫にあったこの古典を手 に取ったわけである。

残念ながら、借りた本は政治権力についてであって、客観的可能性を現実化する主体の創造的行為、すなわちカリスマ(ひいてはエートス)の革新力としての意 義を重く見て、そこから変革の論理を探ろうという「境界人仮説」などの最近の動きに言及がない。マックス・ウェーバーがみていた初期の産業資本段階 における徹底的な合理化が行われた現代社会の巨大な機構のもとではそうした革新力は必ずしも期待しがたいからである。いわゆる機械的化石化とマス化の現象 にあらわされる人間疎外の問題をどう克服してゆくかはマックス・ウェーバーの時代では依然として未解決の問題であったのだ。ウェーバー社会学の本領は政治 権力や政治支配の社会学にある。その支配社会学は支配の三類型ー@合理的支配、A伝統的支配、Bカリスマ的支配は学会の共有財産になっている。マックス・ ウェーバーは近代社会の主要な局面を支配する公的・私的官僚制の宿命的不可避性を強調しただけでそれを克服する途を示さずに、現状への埋没を説くに終わっ ているのはウェーバーの限界であることが分かる。

とはいえ、近代社会がその内部にもっている時限爆弾である官僚機構の永続的性格をマックス・ウェーバーはするどく記述している。いわく・・・

ひとたび完全に実施されると、官僚制は、もっとも破壊的な社会組織の一つとなる。官僚 制化は、「共同行為」を合理的に組織された「結社的行為」に転移させる特定の手段である。だから官僚制化は、支配関係を「結社化」する手段として、官僚制 機構を統括する者にとって、第一級の権力手段であったし、現にそうなのである。なぜなら、他のチャンスが同じなら、計画的に組織され統率された「結社的行 為」のほうが、これに抵抗する全ての「大衆行動」とか「共同行為」に勝っているからである。

日本は民間企業も政府もその官僚制化においては先輩の中国に出し抜かれて困っている。米国はすでのベンチャー企業など官僚制化していない小・臨時組 織で革新的ビジネスを生み出しているが、日本は政治においても企業において巨大官僚制機構に窒息して死に至る病についている。たとえば市民の反対を無視した原発の再稼働、水素エネルギーに官 民が突っ込んでいること、独創的なSTAB細胞研究者を不法研究として葬りさろうとしたことにも見て取れる。中国も同じ死の運命がまっているだろう。マック ス・ウェーバーはその弊害は明解に教えてくれるが、脱出法は教えてくれない。


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