読書録

シリアル番号 1128

書名

ムラヴィンスキー 楽屋の素顔

著者

西岡昌紀

出版社

リベルタ出版

ジャンル

伝記

発行日

2003/11/19第1刷

購入日

2012/12/21

評価



著者献呈本

自由人のエネルギー勉強会でお会いした東芝林間病院神経内科の医師が若い頃、4度来日したムラビンスキーの身近にいてみた素顔と音楽について語る。

西岡昌紀氏は医師であるが、戦後「新芸術家協会」を設立し、海外のクラシック音楽家招聘をしていた父君を持つため、子供のころからキラ星のごとき大 音楽家を後ろから眺める立場に恵まれていた。直接目にしたムラビンスキー、リヒテルなどの思いで話だけで本が1冊かけてしまうのである。

氏は1970年ころ、家にあったムラビンスキー指揮レニングラード・フィル演奏のチャィコフスキーの交響曲五番をモノラルのLPを聞いて育った。そして、氏 は大多数の演奏家はチャイコフスキーを甘く演奏しがちだ。それは彼が最も誤解されている作曲家のためだという。ムラビンスキーの指揮には露骨な感情表現と いうものがない。それはムラビンスキーが聴衆に媚びないからだろうという。

当時、レニングラード・フィルは日本に来ても、ムラビンスキーは飛行機嫌いのため、日本には来なかった。このため、「幻の指揮者」と呼ばれていたという。 ここまで読み進めるとムラビンスキーの演奏を無性に聴きたくなる。1960年ころ集めたLPレコードをチェックしてみたが、当然あるはずもない。古い録音 技術をつかったソ連時代のLPレコードやCDが手に入るわけでもない。ダメ元とユーチューブでさがしてみたら、なんと1960年の録音盤があるではない か。無論、映像はなく、音だけである。これを1973年撮影のカラー映像付のカラヤン指揮のベルリン・フィル演奏と比べると、大多数の指揮者はビジュアル には華麗であるが、音に明白な意思が感ぜられないと著者が主張することを確認できた。

氏がムラビンスキーの生演奏を聴くことができたのは父君が苦労して招聘した1973年の初来日の東京文化会館での演奏である。ここでチャィコフス キーの交響曲五番とショスタービッチの交響曲五番を聴いたという。ショスタコービッチはスターリン政権に批判的とみなされて、弾圧されていたが、よくもこ れだけの作品を作れたというのが世界の受け止めだった。そしてその初演をしたのがムラビンスキーであると著者はいう。1983年のミンスク・ホールでの録 画の映像もユーチューブにあったので確認すると確かにスターリン政権に迎合したらしき部分もあるのを確認できた。しかし、なによりもムラビンスキーの贅肉 を削ぎ落した痩躯にいかめしい顔が乗っているのをみるのは嬉しい。この公演ではベートーベンの交響曲4番も演奏され、吉田秀和氏ら評論家達に驚きを持って 受け入れられたとある。これも1973年録音で確認できた。

以下、著者が実際に見聞きした、舞台裏の逸話がてんこ盛りで、ファンには耐えられないだろう。例えば、「幻の指揮者」といわれたムラビンスキーも日本に着いたとたんに日本びいきになり、結局、4回も来日することになるのである。


西岡氏は花田紀凱編集のWill 2012/11月号に「こ こが変だよ ホルミシス論争」という一文を書いておられる。論点はしっかりして、説得力がある。実は西岡昌紀氏は雑誌編集者には知られた方であるという。 かって「マルコポーロ」という雑誌があった。そこにナチの収容所で大勢のユダヤ人が命を落としたが、ガス室で亡くなった人よりチフスの無くたった人のほう が大きかったという解析を書いたところ、ユダヤ人組織から不買運動を仕掛けられ、雑誌は廃刊に追い込まれた。こういうホロコーストの真相ものはマスコミ界 ではタブーとなっているのだという。

Rev. November 26, 2017


トップ ページヘ