読書録

シリアル番号 1084

書名

セーフウェア 安全・安心なシステムとソストウェアを目指して

著者

ナンシー・G・レブソン

出版社

株式会社翔泳社

ジャンル

サイエンス

発行日

2009/10/29第1刷
2011/2/10第2刷

購入日

2011/6/9

評価

原題:Safeware System safety and Computers by Nancy G. Leveson

2011年7月9日日本工業大学神保町校舎602教室でプロジェクトマネジャーの会P2M向けに「原子力から再生可能エネルギーへ」という講演を行った。このとき参加者の松原友夫氏から頂いたもの。氏は早稲田の機械工学科卒業後、日立製作所で国税システム、電力最適制御システム、銀行システム、OSなど危険度の高いソフト開発を担当されて来た方である。氏が監訳者となったのがこの本である。

ケルン在住のこれも早稲田の物理を卒業した望月さんからBulletin of the Atomic Scintists 19 April 2011で M. V. Ramanaが「Beyond our imagination: Fukushima and the problem of assessing risk」という論文を書いたとき、そのなかでMITのNancy Levesonがthe chain-of-event conception of accidents typically used for such risk assessments cannot account for the indirect, non-linear, and feedback relationships that characterize many accidents in complex systemsといっていると紹介しているとして原発のリスクを確率論的に予測することは難しいと紹介したスライドを事前に読まれた氏が当日持参われたものである。

早速目を通したが、いきなり「一人の命を奪う者は、全世界を滅ぼしたも同じである。また一人の命を救う者は、全世界を救ったに等しい」というタルムードの格言がでてくる。

そしてバークレイの社会学教授Charles Perrowがその著書 Normal Accidents: Living with High Risk Technologiesでフォード社ピントのガソリンタンク欠陥問題にふれ「問題なのは、リスクではなく、少数の人々の利益のために大多数の人々にリスクを負わせる権力が問題なのである」とのべた言葉を紹介している。

Charles Perrowはリスクの高いシステムを3つのカテゴリーに分類していると紹介。

第一のカテゴリー:化学プラント、航空機、航空交通管制、ダム、採掘、自動車など惨事の度合いが低いか、代替案のコストが高いシステムで許容される

第二のカテゴリー:海上輸送機関、DNA組み換えなど惨事の度合いが中程度、代替案のコストも中程度なシステムで厳しい規制の下で許容

第三のカテゴリー:核兵器、原子力で惨事の度合いが高く、代替案のコストは低い。このグループは放棄し、代替案に置き換えるべきとしている。

以下まだ読んでいないが パラパラめくってみると原爆、原子力、航空宇宙もコンピュータ、医療機器、交通機関、マンマシン・インターフェースもすべて実例をあげつつ書いている。厚さ4cm。いままで読んだなかでも一番博学な人で綺麗に整理している。

システム理論(複雑性理論を内包)の紹介のところで 「体系的でない複雑さ」と「体系的な複雑さ」に2分する。「体系的でない複雑さ」とは大数の法則に従うとする。これは私流に解釈すれば即ちガウス分布で整理できる自動車事故のようなもの。

「体系的な複雑さ」は分析は不可能だが、生物系や社会システムや戦後設計された複雑システムとしている。これも私流に解釈すればべき乗分布で整理できるバブルの崩壊や原発事故のようなもの、原子力村が日米仏に発生したこと、新技術・発明出現など

システムには「階層と創発」、「通信と制御」が必須という言葉は天啓のように響いた。

訳者の松原友夫氏は「安全はコンポーネントの属性ではなく、システムの属性である」という言葉が好きだとおっしゃっている。まさに制御コンピュータの悪魔はハードにではなく、ソフトに隠れている。この点がトヨタの社長が米国で試練にあったところだ。遺伝子組み換え細胞で医薬品を製造するプラントに採用したM電機製の制御コンピュータのOSを更新したとたん、1月分の製品をドブにしてたこともある。

ベル研究所のブール代数方式をボーイング社が発展させたフォールトツリー解析(FTA)他、MORT解析、オベントツリー解析(ETA)、原因結果解析(CCA)、ICIが開発した定性的解析ツールHAZOP、故障モード影響解析(FMEA)、故障モード、・影響・致命度解析(FMECA)、障害ハザード分析、状態機械ハザード分析など知りうる全ての解析手法を詳しく解説してくれている。しかしなぜかPetrinetについては言及なし。 知らないはずはないのだが?

松原友夫さまには大感謝です。これおすすめ。

さてP2M向けに「原子力から再生可能エネルギーへ」という講演を行った が参加された内の一人、これも早稲田の木下先生からのコメントに回答したものを以下に収録する。


木下先生、

スローデスという言葉はヤブロコフ・ネステレンコ報告を読んでいるときに私の頭にボットでてきたことばですが、米国のマンクーゾ報告にでていたのですか。もしかしたら内橋氏が言っていたことをどこかで読んで脳裏の奥にしまわれていたのかもしれませんね。

それから今回松原様から松原様が監訳されたナンシー・G・レブソンMIT教授のセーフウェアという部厚い本を頂きました。ミュンヘン在住の望月さんから教えられて教授の一言を引用したのですが、スライドを事前に読んで、松原様が昨日わざわざ持参されたのです。帰りまして早速目を通して勉強させてもらっています。米国にも原子力村(こちらが元祖で木下選先生によれば広島、長崎の被爆の生データは日本にはなく、米国の原子力村に秘匿されているため、日本の放射線学者は生データがなく、研究もできず、米国中心のIAEA、WHO、ICRPに依存するしか手はない。しかしヨーロッパのECRRはこれに対抗する組織であるので期待できる)があるのですが、ナンシー・G・レブソンはその米国原子力村には所属せず、宇宙航空機産業に属するMIT教授だからこそ正しいことを素直に認識できたのだと思います。米国原子力村に所属するMIT教授連は村の奴隷で日本の原子力村を導く指導者ですね。木下先生流の見方では米国原子力村は米世界帝国を維持するための悪のメカニズムということになりますね。

木下先生が「ノーブレスオブリージを誰がなすかと言えば、欧州ではながく、ギリシャ哲学、論理学、歴史研究をした人間を政府でも民間でもトップにしてきたのであり、工学部や経済学部や法学部出身者は、それが身についていないとして外してきたのです」は全くそのとおりだと私も思います。しかし英国が技術で没落したのもこれが原因とC・P・スノー(Charles Percy Snow)が「二つの文化と科学革命」("The two cultures and a second look")で指摘していますし、英国人で米国に移民した私の友人も学生時代にスノーの本を読んで英国脱出を決意したといっています。ノーベル経済学賞は正規の賞ではなく、スエーデンの銀行がかってに作った賞とか。ところが日本では法学部出身者が国の中枢をしています。2番目に経済学部出身者です。財務省ですら経済学部ではなく、法学部出の城です。ということはやはり日本のシステムは間違っていると思いませんか?したがって文系で大雑把にくくらず法学部出身者が国の中枢にする伝統を指摘すれば良いわけですね。そもそも法学部出が大切だったのは江戸幕府が結んだ不平等条約改定のためであって彼らの役目はすでに終わっているのですよね。民間会社で法学部出を雇用しても弁護士資格もなくたいした活躍は期待できません。

先生の「工学系が上に立てば、正しい判断ができるという点については、留保したく思います」についてですが、工学系が上に立てば、正しい判断ができるという風に私は主張したつもりはありません。工学系も文系と同じ認識も判断もバイアスしている人が多いというのは原子力村の御用学者をみれば明らかです。私がいいたいのはエンジニアリング企業は欧米では例外なく 、技術系がトップであること。技術で勃興する企業は理系がトップで会社を引っ張ることです。これを少し拡大解釈して国の事業官庁の組織にまで言及したところが誤解を生んだのでしょうか。 ただ技術系の民間企業で文系をトップとして必要になるのは財務状況が悪い証拠で没落企業だということです。まー日本の現状はこれですが断末魔の状態なのでしょう。

政府組織では文系、とりわけ法科出身者がトップであるべきというあやまてる伝統はすなわち、始から没落の象徴だということではないでしょうか。法科優位の伝統は明治政府の不平等条約改定の必要に迫られた政策でしたが、その必要性はもはや失われました。民間企業でも単なる法科出は役にたちません。この身分差別を改めねば明日の日本はな いと思います。工学系が上に立てば、正しい判断ができるという風に理解されたのは私の話し方が下手なのであって、能力によって選ばれるべきと明確に言葉をだせば良かったと反省しています。

とはいえ、エンジニアリング会社のような会社はやはり技術系がトップになるべきなのです。少なくとも私のいた会社は文系に乗っ取られて倒産しかかりました。たまたま文系に悪人が居たといえるのかもしれませんが、これに協力した情けない理系も大勢いたのです。一人一人は悪人ではなく、ただ弱い人だったということでしょう。システムがなせるわざとでもいえばよいのでしょうか?建て直しをするために乗り込んだ三菱銀行の方はこれを非常に良く理解されていて自分は専務として新任された生え抜きの理系社長を支え、悪さをした文系を全てパージし、再建できたとみると別の会社の副社長に転進され、現在は日本フィルの理事長になって金集めに苦労されています。おれは一生金に苦労するよといいながそれを楽しんでいる風情があります。

日本の不幸は明治革命が下級武士の革命であって、いまだ市民革命ができていないことではないでしょうか。キャリアの特権を壊せないため、自民党であれ、民主党であれ、政権党は彼らの無言の協力の出し惜しみにより政府が機能していないところです。最近の政治家が小物になって官僚をおだててつかうことができないとかいうマスコミ、評論家の議論はまったく本質を理解していないと思います。やはり政治家集団は自前の政策立案集団を持たねば役立たずでおわるでしょう。

無論、官僚のなかには立派な人が大勢居ることは知っています。なかで立派な業績を上げるかたもいますが、かなりは挫折してやめて外にでていますね。彼らがうまく機能しないのは制度が硬直していて、能力によって人事がなされていないというシステムがいけないのだとおもいます。

たまたま、この会には東大法学部出の元通産官僚が参加されていて、官僚は皆まじめにやっているのに10のウソとは一方的すぎるといわれました。過激で品がないことは知っていますが、この位いわないと、自分はまじめに仕事にとりくんでいるといいながら船の底に大きな穴をあけていることにも気がついていない大勢の官僚の考えは 変わらないと思うものです。

良い機会ですので蛇足に一言。そもそも事業官庁を国が持つ必要があるのか。国鉄、郵便と同じく民営化したらどうか。そもそも経済産業省などはその役目を終えたのではないかとさえ思います。というのはもう立地的に日本に適しない産業を後生大事に税金をつかって保護維持しようとする官庁は日本の産業のダイナミズムを失わせ、日本を衰亡に導くのではないでしょうか。今回の原発騒動でも電力コストで国際競争にまけた産業はすでに空洞化していなくなり、電力需要は減少し、発電施設は余って、原発なしでも停電にはならないと予想されています。なにも対策もせず慌てて再稼動する必要はないでしょう。停電するぞとおどかしているのは原発村の住人で、これも10のウソの一つであります。

さて今回P2Mから講演依頼があったのはメンバーの新谷氏の京大時代の友人で原子力の専門家でかつ政治家(共産党)の吉井英勝氏に福島について質問したとき、福島原発メルトダウンを推薦されたのがきっかけだと聞きました。インターネットのパワーをひしひしと感じました。役所の提供する情報を江戸時代の高札のようにただ印刷する新聞やNHKの報道部(文化部は独立)の既存メディアは愚民政策の下請けとして衆愚制を拡大維持してきましたが 、このような古いシステムを見捨てた若い世代はインターネットだけで情報を拾い、考えて行動しますので確実に世に中は変わり、愚民政策を維持する官僚と独占企業たる電力業界は駆逐 する風が吹いているのを感じます。

米国も冷戦時代は読売の社主正力や風見鶏政治家中曽根を通じて工作し、日本に原発を売り込みましたが、最近はすっかり変わってもう日本は脱原発したらどうかと変わってきたように感じます。その表れが鳩山や小沢と袂をわかち米国と共にと軌道修正した管首相に浜岡や玄海を止めないと米軍人は 怖くなって横須賀と佐世保から逃げ出すよとささやいていると見られることからわかります。日本の原子力村はハシゴをはずされたことにまだ気がつかず、昨夜も原発維持ヨイショのNHKの特集番組で北海道大学教授で原子力安全委員でもある奈良林直が盛んに原子力村の「10のウソ」をぶち上げていました。おばか丸出し。三宅民夫は好きな司会者でしたが、かれが原子力村の住人だと知ってがっかり。米国の脱原発の意向をうけて導入したストレステストでぶっ飛んだ海江田万里大臣、古川康佐賀県知事(東大法学部)、NHK本部報道局政治部記者で原発村住民の大越健介(東大卒)ら管・米宇宙連合艦隊の敵たるガミラス艦隊が粉砕されました。これも米国の考えの変わり目で提供された波動砲(ストレステスト)があることも見抜けなかったからではないでしょうか?


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