読書録

シリアル番号 1029

書名

巨龍・中国がアメリカを喰らう 欧米を欺く「日本式繁栄システム」の再来

著者

エーモン・フィングルトン

出版社

早川書房

ジャンル

経済学

発行日

2008/9/25初版

購入日

2009/11/4

評価

原題:In The Jaws of The Dragon America's Fate in the Coming Era of Chinese Hegemony by Eamonn Fingleton

鎌倉図書館蔵

著者は東京在住のアイルランド人ジャーナリスト

鳩山政権が東アジア共同体構想をぶち上げている。だいぶまえに森嶋通夫が日本も中国とヨーロッパユニオンのようなものを作らないとこまることになるだろうといっていたように記憶する。だがヨーロッパとアジアでは歴史が違いすぎる。現実はどうなのか少し中国を学ぼうと借りる。

日本がアメリカの製造業を破綻させたとき、あれだけ騒いだ米国は奇妙にも静かに中国を自由主義的資本主義を浸透させ中国社会を民主化するにはまず豊かにせねばと暖かい心で見守っている。しかし、生じていることは中国の市場は開かれず、アメリカ中国に飲み込まれてゆくだけ。その理由は儒教にあるとする。

日本を含め儒教が浸透した国は社会が権威主義的締め付けが強く、官僚が国民の意思とは別のところで国をコントロールしている。このような地域ではたとい国が豊かになっても自由主義的 、個人主義的といってもそれは建前のことで実質はそうではなく、また国民は従順に体制に従う。

中国はかっての日本がしたことをまねて、重商主義をブルドーザーのごとく押しすすめ、消費する品を少なめに規制して国民の収入を貯蓄に廻させ、これを再投資 して輸出産業を成長させている。

失われた10年といわれた日本ですら米国の自動車産業など製造業を破壊しつつ対米輸出を増やし、米国の自動車産業はむろん航空機産業も空洞化し、日本は電力消費量を35.5%伸ばした。 結果論でいえば日本は面従腹背は米国企業に門戸を開いていない。マッキンゼーの日本支社長だった大前研一が製造業は重要でないと主張したのは日本の隠れたロビイストで米国の脱製造業政策は正しいと米国に信じ込ませのが目的ではなかったかとの疑惑がある著者はという。

しかしこれは買いかぶりであろう。大前は米国で主流の考えを受け売りしたに過ぎないと思う。日本の面従腹背というが、役人だった岡崎氏によれば通産省はなにも日本のメーカーを直接コントロールする方法を持たない。また日本企業は簡単に製造業をやめるわけにはゆかないので頑張ったにすぎない。そうこうするうちに中国の設備投資需要があったという幸運のおかげで鉄鋼、プラスチックなど基礎素材や加工用マザーマシンを中国に輸出できたというにすぎない。日本の製造業の困難は中国が自立した今後にやってくると思う。

著者はまたロシアすら加入させなかったWTOにお人よしの米国は2001年中国をWTOに加入させ、日米の企業は中国に投資を開始。中国は市場を閉ざしつつ輸出するという日本の巧妙なやり方を徹底的にコピーして対米輸出を増やし、米国の経常赤字を積み 増している。

靖国や教科書問題で日本と中国は仲たがいしているように見えるが、それは表面的なことで実は経済的協力関係は深まっている。日本の輸出は対中国なのだ。

日本を常任理事国にしたかった米国の提案を日本の外務省はアラブを敵に回すとしてドイツ、インド、ブラジルを仲間に引き入れて頓挫させた。 というよりアフリカ勢が中国に買収されたため。マグロは中国のおかげで勝った。

米国メディア王ルパート・マードック、AIGにかって君臨し2008年の金融危機で失脚した保険王モーリス・グリーンバーグ、その他米国企業、ビジネスに目がくらんで中国のいうがままであル。米国のシンクタンク、弁護士、ロビー達は中国からの資金に目がくらんで、自由貿易礼賛をしている。貿易ロビイストの例としてジョージH・W・ブッシュ、ヘンリー・キッシンジャー、アレクサンダー・ヘイグ、ブレント・スコウクロフトなどである。リカードすら比較優位論でその前提に相互の対象性があればということを言っているが、儒教分化のアジアと個人主義の欧米とでは対象性がない。

ハーバード大学戦略競争力研究所長のマイケル・E・ポーターは日本の製造業がステッパー、半導体製造装置、半導体級シリコン、ガリウム砒素、レーザー・ダイオード、セラミック・コンデンサー、ジェットエンジン用セラミックス、宇宙グレードのチタニウム、携帯電話機の部品など日本の超ハイテク製品の強さを認識しそこなっている。

ポール・クルーグマンもアメリカの貿易収支の悪化は問題ないとし、日本の景気振興策としての「行き先の無い橋」建設を批判したが明石大橋は行き先の無い橋ではないと論じている。

著者はこうして製造業を失った米国は覇権国家からすべり落ちる運命にある。これを防止する方法は関税しか残されていないと恐ろしいことを提案する。

著者はパルマーストン卿の「国家には永遠の友もなく、永遠の敵もない。ただ永遠の国益あるのみ」を引用して日本は同盟国として選ぶべき相手は、前途有望な新興国か、それとも衰え行く大国だろうか?と考えているだろうとしている。岡崎久彦 氏はいやそれは間違いというのであろうか?

Rev. November 13, 2009


エーモン・フィングルトンは2007年には早川から「見えない繁栄システム 」を出している。全体のトーンは本著と同じ。規制官庁の過去の成果を高く評価している。

ここで「日本の景気が落ち込んでいるといわれるなか、日本での危機的状況ばかりをマスコミは伝えている。ところがアメリカでは21世紀は日本こそが、世界のリーダーになるという意見が現れた。それが本書の主張であるという。

日本という国が自由経済を信奉しているのかというと、決してそうではない。一応自由経済圏にに属するとはいえ、実際には社会主義的なシステムが機能している。

日本の経済発展は国内での自由競争がもたらしたものではなく、日本政府が国内産業をうまく保護してきたところによっている。もちろん、日本企業の努力もあったし、日本人そのものが非常に勤勉で努力家でもあった。そうした日本の企業が世界で商売ができるように、国内の市場は閉鎖し、企業はそのマーケットでの上がりを基盤に海外に売りまくった。そして海外からの先進的な技術はドンドンと取り入れた。しかし、日本で開発した先進的な技術は海外には出さなかった。

そのため日本には日本でしかできない最先端の技術が集まるようになり、日本は技術大国になった。海外のメーカーが日本に進出するとき、日本にない技術を移転するのであれば、その進出はスムーズに進むが、そうでないときはさまざまな規制が働いて、役所のハードルが高くなってしまう。

こうしたことをコントロールしているのは、実は大蔵省なのであると著者はいう。大蔵省は実質的に予算の編成権を有し、しかもその責任を問われることがない。アメリカでは「フェア」な競争が守られることのほうがアメリカが発展することより、優先するのだが、日本では全てにおいて日本が繁栄することを優先させてきた。日本が繁栄するような法案を官僚が策定し、あるいは通達し、運用してきた。ここでは全体がより良くなるように、システム化されているのである。そうしたことを予算の編成に折り込みながら大蔵省は日本の繁栄を最優先させてきた。

結果、日本はGNPで世界第2位の国になり、しかも貧富の差がほとんどない国を実現せしめたのである。しかも現在では日本がもつ特許はアメリカの倍以上あり、日本でしかできない技術は数限りなくある。日本から輸出されるものの約8割は工作機械や最先端の部品などの生産財であって、一般消費財は比率からいうとわずかしかない。 プリンターですらマーケットの大半は日本製であって、アメリカですら、日本の業者が競い合っているようになっている。

だから為替が円の最高値を更新して、80円が60円になっても、代替できない技術は円建てで販売できるから、円が高くなって日本が苦境に追い込まれるというより、日本から買わざるを得ないアメリカなどが高い値段で買わないといけなくなるだけなのである。

アメリカでは不景気のあとリストラを進め、長期的な視野にたって企業を経営することは少なくなった。採算の悪い分野は容赦なく切り捨て、アウトソーシングに向かった。そのため、アメリカのメーカーの大半は製造業といっても実質的に組立ラインを持っているにしか過ぎないようになった。肝心要の部品は日本の企業から買っていたり、あるいはそういう部品を国内や日本以外の国から輸入している。そしてそういう部品を作るオートメーションやロボットなどの生産のための機械や装置は、いまや全て日本製なのである。

大学の同期で企業のトップに上ったものに比べて、日本の官僚の収入は決して多くない。少なくとも都心の立地のいいところにマンションすら買えないようになった。収入は多くない割には激務である。そういうなか高級官僚が、天下りと称して国益を詐取するようになったのは、大蔵官僚の税制の読み違いに起因するものであろう。かれらが天下りしなくても、十分な収入を得られるようにすべきであった。

戦後のまもないころは1,000万円の収入を持つ人はほんの一握りであったから、極端な累進課税を課しても国民の99%以上は関係なかったが、インフレ経済のなか物価が急激に上昇とともに所得もドンドンと上がり、いまや1,000万円は珍しいものではなくなった。多くの人が高い累進課税に重い負担を強いられるようになった。重い課税は高級官僚といえども逃れることはできないのである。

経済政策に優れた手腕をみせた管仲はいった。「倉廩実つれば礼節を知り、衣食足れば栄辱を知る」と。日本は繁栄したが、日本を繁栄させた官僚はいまだ満たされない思いでいっぱいのようで、礼節をどこかに置き忘れたようである。


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