文系脳・理系脳

文系脳・理系脳

私がうけた大学教育とその後の職業からみて典型的な理系脳をもっていると自負してきたが、「理系脳と文系脳の違いと特徴をわかりやすく解説」に紹介された簡易試験をしてみると私は2つのテストで理系脳、手を組んだとき右手親指が上にくるので左脳優勢、すなわち論理優先の理系ということにる。私が典型的文系脳だとおもっている女房も右手親指が上に来ている。

さて中国系実習生達の「日本語試験」での傑作回答集

問 1:「あたかも」を使って短文を作りなさい。
  答:冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。

問 2:「どんより」を使って短文を作りなさい。
  答:僕は、うどんよりそばが好きだ。

問 3:「もし〜なら」を使って短文を作りなさい。
  答:もしもし、なら県の人ですか。

問 4:「まさか〜ろう」を使って短文を作りなさい。
  答:まさかりかついだきんたろう。

問 5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
  答:僕は麻薬をうってかわってしまった。

を見ていると日本語は日本語だけを話していればよい狭い範囲で流通する言語の特殊性を示しているとつくづく思う。世界中で英語はだれでも理解できる し、しゃべれる言語だが、これ理系脳向きの言語なんだとわかる。言い換えると、理系脳とは世界標準脳で世界で成功するには理系脳が適しているとして良い。

ところが日本でうまくやってゆくには理系脳ではバカにされて不利だ。成功するには文系脳でなくてはならない。すなわち日本の社会で成功するために特殊化したのが文系脳だとわかる。

私は気がつかなかったが、今から10年前に文系の仲間内では「ドーダ理論」が人気だったようだ。最近のNHKの「西郷ドン」の人気にあやかって復活したらしい、友人に「ドーダの近代史」という本を借りて読んだが、読んでいるうちは面白いが読みおわってso what?という感じ。文系脳を喜ばす代物と気が付いた。

なぜ文系脳と理系脳の違いが気になるかと言えば、イノベーションの必要な分野で日本は全くダメな理由探 しをしているからだ。中国の勃興をみていると電子通貨の実用化などのイノベーションが散見され、日本と同じものマネではじまっても独自のルートを見つけて進んでゆくところが見 える。民族的には東アジア人という同じルーツだから遺伝子の違いは大差ない。地域別OQにはっきりと示されている。とするとイノベーション能力の差は教育システムと社会の違いにのいずれかにあるだろう。


運動会原因説

かねがね、日本も米国も製造業を中国に移転してしまっても、米国は新しい技術などのイノベーション能力 を維持しているのに、日本は沈滞したままなのはなぜかと疑問におもっていたのだが、2018/12/6の朝のTV朝日の番組でどこかの経営コンサルタント が日本でイノベーションが少ないのは小学校の運動会と全社の4月の一斉採用だと解説していたのを聞いてハタと胆に落ちた。

個を潰して集団に従うこの日本人の性向は江戸時代に儒教によってはぐくまれたものではないかと漠然と考 えていたが、同じ儒教国の中国が勃興し、イノベーション能力を発揮するようになるとこの儒教説は消える。社会の上層を占拠した文系脳が原因と考えても文系 脳なんてバイパスできる。では何が原因かというと意外にも運動会犯人説にたどり着く。

運動会は明治政府が始めたことで富国強兵のため、ボット出の国民に軍事教練を施すのがほんとうの目的であった。戦後のマッカーサー占領軍がその怖さに気が 付かず、カリキュラムに残したので今に残った。韓国と中国にも運動会はあるが、基本的にはミニ・オリンピックで個の競い合いが中心である。しかるに日本の運動会は個 を集団に協調させる組体操、集合ダンス、ボール入れ、綱引き等を重視し、仮に個の競争があったとしても紅白という団体の対抗に置き換えて、個が表彰されることはない。こいう集団優先の運動会などを 親ぐるみで熱心にしているのは日本だけ。この方式は戦後の高度成長期にはプラスに働いた。しかし、 イノベーションのための環境には個中心の多様性が必用で、運動会はその個性をすり潰す作用をもたらして協調性を重視する結果、会社に入っても、個が発想す るイノベーションが生れず、互いに似たような発想に陥り、日本全体が沈滞化 したというのである。この運動会原因説の見方は20年前から指摘されていたと言うが、いまだに何も改善されていない。まるで茹でガエルだ。

なぜ茹で上がったかというと明治期にまず将来の母親になる若い女性達を運動会で洗脳したしまったから彼女たちが熱烈に運動会を支持するようになった。その女性が母親と教師になり、積極的に献身的に働くので文部省は自分達がハイジャックして乗っ取っ た利権を守るために強権をつかう必要もない。

軍事教練なら皆、敬遠するだろうが、母親や先生たちが先に洗脳されてしまっているから、だれも文部省の強制とは思わ ず、積極的に嬉嬉として取り組んでいるから根深い。社会としては居心地良く、為政者は楽チンだが、何しろ形而下の反射神経レベルで血となり、肉になっているためか、思想がなくとも体は自然に動く。こうして個は埋没し、大量生産を周辺国に渡してしまった日本から個から発する イノベーションがなくなり、日本の出る幕は無くなって国際競争では沈没する。二律背反なのだ。

こんな指摘を2018/12/6にTV朝日で見て、私の若き頃、恩師の東北大学の徳久教授から集団を制御するには軍事教練が役立つと教えてもらったことを思い出したがここまで深刻だとはいままで思い至らなかった。

4月1日に全国一律の新入社員一斉採用という慣行も対米戦争に踏み切って真珠湾攻撃の日の成立した国民動員令が始まりで、それまでは各企業はバラバラに採用していた。こ の国民総動員令は戦争遂行のために人的資源の一元的管理が必用だったからできた制度である。これも戦後の復興のために便利なので残った制度である。この2つのしがらみのなかで日本は没落してゆく運命にあるということだ。

だから日本ではフランスのように市民は政権に反抗することもなく、従順になる。マクロンが導入した炭素税に反対して反乱するようなことはおこらない。運動会はまさに国家をまとめるのは非常に強力なツールだ。

息子夫婦から孫の運動会への招待をもらいいそいそとでかけているようでは日本は救えないと納得。来年からどうしよう。


集団競技原因説

英国発発祥のサッカー・ラグビーは試合が始まったら選手に任せる。各選手の的確な状況判断と創造性が求 められることになる。しかし米国発祥の野球やアメフトは首脳陣が絶対的な支配をするために軍隊的規律が入り込む。これは米国型企業がもつCEOの絶対的な 権限が象徴する。いがいに日本型上下関係と米企業に同質性があることになる。

ただこのアメフト型文化は巨大組織のもので、これら巨大組織はすでに製造部門は中国に明け渡して米国では空洞化している。イノベーションが必要なGAFAなどは英国発発祥のサッカー・ラグビーの組織原理で運営されている。


というわけで官庁をハイジャックした文系脳に日本の衰退の原因を求めるのは本命ではないと考えてよい。

December 8, 2018
Rev. December 12, 2018


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