場所 | 時刻 | 空間放射線量(microSv/h) |
品川駅前 | 10:00 | 0.060 |
八ッ山橋 | 10:10 | 0.090 |
蒲田 | 11:11 | 0.084 |
六郷神社 | 11:30 | 0.100 |
多摩川 | 11:37 | 0.090 |
川崎 | 12:00 | - |
市場 | 12:30 | 0.070 |
鶴見川 | 12:36 | 0.046 |
生麦 | 12:55 | 0.056 |
良泉寺 | 13:18 | 0.090 |
浅間下 | 13:42 | 0.068 |
帷子橋 | 13:59 | 0.075 |
元町 | 14:32 | 0.079 |
元舞橋(舞岡) | 15:33 | 0.073 |
戸塚 | 15:54 | 0.068 |
藤沢橋 | 16:28 | 0.042 |
七里ヶ浜 | 17:10 | 0.035 |
八ッ山橋踏切を東南に見る方角は広重東海道五十三次之内「品川・日之出」
で品川宿の東の傍示杭のある地点である。 写真は浮世絵とは逆方向を写している。 浮世絵での右側の崖は東海道線などの建設のため切り崩さ れてすでにない。ただ旧東海道のすぐ左側は一段と下がってかってはそこが海岸線であったことをうかがわせる。いまでも高浜運河がまじかに迫っている。その 先の埋め立て地が天王洲である。 |
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旧東海道は車道も歩道も同じレベルで自転車天国となっている。 目黒川を渡る品川橋のたもとに赤い欄干の荏 原神社がある。さらに南下すると浜川橋がある。別 名涙橋とも呼ばれる。品川のお仕置場(鈴ヶ森刑場)で処刑される罪人と見送る親族がここで別れたからという。 八百屋お七ら10万人が処刑されたという鈴ヶ森刑場跡には南無妙法蓮華経と刻んだ巨大な供養塔がある。 大井競馬場はこの東側にある。 |
第一京浜と合流し、平和島で旧道に入る。大森で再び第一京浜に合流。産業道路に入らぬよう、注意が必要。 京浜蒲田駅は立体交差の大工事中であった。 さらに南下してかって4番目の一里塚があったという六郷神社に到着。一里塚は姿を消している。 |
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旧街道は六郷の渡しで多摩川を渡った。ここは広重東海道五十三次之内「川崎・六郷渡舟」
に描かれている。写真は浮世絵とは逆方向を写している。今は新六郷橋歩道橋で多摩川を渡る。 歩道橋の階段を自転車抱えて登るのは大変と車道を走る。省エネ のための自転車を考えていない古い設計 思想 だ。零細ゴミ収集業者がやはり車道を荷物を載せた台車を押して渡っている。イギリスと違い、トラックが避けてくれない。至近距離を走り抜けるし、そのまま 行くと川崎側の旧街道を越して先に行ってしまう。川崎側には階段はなさそうだと途中で無理をして欄干を超えて歩道橋に入る。ブリヂストンの電動アシスト付 自転車は頑丈なつくりだが。バイ クのように重い。 写真は川崎側から撮影したものだが、階段なしに土手の上に接続していることがわかる。川崎の土手上には東海道を見物する一団が案内人の説 明を受けていた。どうも高度成長期を支えた日本人は主体性なく、群れたがる。 |
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帷子川にかかる天王橋を渡り、相鉄線の天王寺駅をくぐって南側広場に出ると旧帷子橋跡がある。 広重東海道 五十三次之内「保 土ヶ谷・新町橋」に描かれた帷子橋があったところである。写真は浮世絵とは逆方向を写している。 蛇行する帷子川の付け替えで橋は消えてしまって広 場となっている。 |
保土ヶ谷は海にそそぐ今井川が作った谷底にある。この谷を西に向かうと谷が狭くなり、やがて元町というと
ころに至る。保
土ヶ谷宿が新町に移設されるまで保土ヶ谷宿があったところだという。 ここから左折し、今井川を渡って権太坂の上りになる。バッテリーのスイッチオンとして上る。 権太坂の石柱の写真は1999年 にジープで訪問したとき撮影したものである。 |
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境木地蔵尊前で左折して狭い道を行くと両側に小高い土盛りがある。これは品濃(しなの)一
里塚といい。日本橋から9番目である。 ここから尾根の上の道は気持ちがよい。 平戸小手前で急坂を下り、環状2号にでる。環状2号を越える歩道橋はあるが自転車は中央分離帯があって渡れない。坂の上下どちらかの交差点まで迂回 しなくてはならない。 |
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川上川にそって旧東海道を下
り、東海道を横断し、あくまで旧街道にこだわる。赤関橋でも東海道に入らず頑張ってゆくとやがて東海道に合流する。 不動坂から再び旧道を行くが舞岡入口で ついに東海道と合流。吉田大橋で柏尾川を渡る。ここが広重東海道五十三次之内「戸塚・元町別道」の 旅籠「こめや」の場面である。写真は浮世絵とは同方向を写している。別道とはここから鎌倉にゆく道である。 |
戸塚駅周辺は再開発されてきれいになったが、駅北側の踏切は昔のままだ。周辺には日立工場やブリジストン
の工場があるが立体交差にする気もないらしい。国土計画としては不思議な現象だ。 大阪下から上りにかかる。バッテリースイッチオンで登りきる。交通が激しいところだ。歩道は閑散としているため、ほとんど歩道を走らせてもらう。 原宿交 差点手前の高所に原宿の一里塚跡があった。 原宿交差点はようやく立体交差工事が完成近かった。 |
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October 31, 2011
Rev. July 14, 2014