ノースウエスト・アース・フォーラム

川上書簡

7. バングラデシュ

バングラデシュの首都ダッカの空港に降り立った。ところが、空港にタクシーがない。インド、パキスタンよりもさらに貧しいとは知っていたが、これほどとは想像していなかった。タクシー代わりの三輪人力車 に乗って街中へ向かう。ここの5月はもう亜熱帯の真夏だ。人力車を漕ぐ男の裸の褐色の背中からたちまち汗が噴き出し、ぎらぎら光る。肉はそぎ落としたようなやせた体。顔は見えないが、苦痛にあえいでいる気配だ。陽をさえぎる布の幌の中で座っているこちらも何とはなしに気持ちが落ち着かなくなった。

バングラデシュはわずか2年半前にに第3次印パ戦争(1971年)の結果、パキスタンから独立したばかりであった。それまでは東パキスタンといっていた。現在のパキスタンは西パキスタンと呼ばれていた。もちろん東パキスタンも印パ分離・独立のときまで英国支配下のインドの一部だった。つまり、パキスタンという国は独立のとき、インド亜大陸の付け根にある東西に離れた別々の地域が一緒になって、パキスタンを名乗ったのである。両地域は、インドを挟んで2千キロも離れている。共通点はイスラム教徒が多く住んでいたということだけであった。その二つの地域で一つの国を構成したのだから、そもそも出発点から無理があった。

西は、砂漠系の乾燥地帯が多く、人種はインド・アーリア系、言葉は,ウルドゥー語が多く、粉食。一方の東は湿潤なモンスーン気候で、鼻の低いドラビダ系やモンゴル系、言葉はベンガル語、米食だ。バングラデシュ人はこのとき、私に対して「われわれはお互いに rice eater だ」と言って親しみを見せた.。「ともに鼻が低い」とはいわなかったが。東パキスタン時代に日本の援助で初の製鉄所をチッタゴンに神戸製綱が完成させていた。しかし、独立以来、大統領はみな西から出ていたし、政治は明らかに西主導。一つの国として、税金の分け前も、投資も、東には少ししか回ってきていなかったのは、ダッカに2,3日滞在しただけで私の目にさえ明らかだった。

こうした不満が、第3次印パ戦争の引き金となり、東パキスタンはバングラデシュとして独立、西とは絶縁し、国際関係から言うとインドの属国となった。属国というのは失礼かもしれないが、語弊を恐れずに言えば、バングラデシュの庶民にしてみれば「自分たちはもともとインドだったのだ。昔から縁もゆかりもなかった遠い西パキスタンに支配され、搾取されるよりはこの方がマシ。どうせ貧乏は昔から」といった感じか。

ちなみに、バングラデシュの公用語ベンガル語は、カルカッタを含む広大なインドの一部と共通であり、日本でも有名な、ベンガル語で作品を書いた文豪タゴールは、バングラデシュ、インド両国ともに誇りにしている。パキスタン報道に一年以上携わりながら、ついこの間戦争までしてパキスタンから離れたバングラデシュを見ないのはやはり片手落ち、という思いが私にはあった。帰心矢の如し、その中で、最後の数日をバングラデシュに割いた。最後はタイの Bangkok に一飛び、インド亜大陸を離れた。

Bangkok では日系のホテル、たしかマンダリンに泊まった。ここまで来ると、西アジアにはなかった日本のにおいがする。翌日の朝食の味噌汁と秋刀魚の干物に涙があふれた。日本へ戻って、「朝食はメシと味噌汁」と家内に宣言した。結婚以来、朝食は当然のことのようにパンだったが、それに反旗を翻したのである。家内は子供を巻き込んで、パンを続けた。黙って、毎日二本立ての朝食を用意した。ついに私のほうが根負けしてパンに戻ったのは何年あとだったろうか。家内は「あなたはパキスタンから戻って何年か朝から晩までパキスタンの悪口を言い続けた」と今でも言う。私も今では、若気の至りだったとは思う。パキスタンから帰任して、10年近くあと1984年に、一度だけインド亜大陸を再訪したことがあった。時のパキスタン大統領ジアウルハクの訪日に先立つ単独インタビューのためであった。以来足を踏み入れていない。

日本人は、「インド大嫌い人間」と「インド大好き人間」に分かれる、と私は思っている。前者はビジネスマン、公務員、ジャーナリストを問わず、インドに駐在した人に多い。後者は観光で訪れた人の中によく見かける。その人のインド経験時の年齢、滞在期間、趣味、思考、人生観によって左右されるだろうが、日本に根をもって彼の地でで仕事をするのは、欧米と違ってなかなか骨の折れることなのは間違いない。

家内は、数年前に初めてインドへ旅行して以来すっかりインドの深みにはまり、毎年、多いときには2回もインドへ行っている。姉や友人と一緒の旅だが、私を誘ったことはない。家内のインドへの興味はヒンズー教にかかわる心の問題らしい。私の苦手とする分野である。

(続く、次回で終わります)

インドについてへ

March 10, 2010


トップページへ