二一会

キリスト教の環境倫理

飯島正

2008年1月25日

 

古代ローマの宗教は穀物の生育段階に応じてそれぞれ別の神が12神も居るほどの多神教であったが、コンスタンチュヌス1世が採用したキリスト教は創世記の影響が強く、自然観は人間中心主義である。創世記に「生めよ、ふえよ、地を満たせ、地を従えよ、海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」とある。

1210年にフランチェスコは修道会を作り、ローマ教皇イノセント3世に会ってその会則「私財を捨て、清貧に生活し、キリストの教えに従う」を口頭で認可された。さもないと異端とされそうだったからである。

1228年に教皇グレゴリウス9世により列聖

1543年、コペルニクスは異端とされる

1483-1546年、マルチン・ルター贖宥状発行を批判して破門

1632年、ガリレイが異端とされる

1859年、チャールズ・ダーウィン「種の起源」でなってはじめて神と人間の関係が変った。

1949年、ウィスコンシン大教授のアルド・レオポルドの「A Sand County Almanac, 野生の歌が聞こえる」で土地倫理(Land Ethic)という概念を提唱して環境倫理学の父とよばれる。

1968年、カルフォルニア大の歴史学の教授リン・ホワイト二世は「キリスト教は古代の異教やアジアの宗教と全く反対に人と自然の二元論をうちたてた」、「アッシジのフランチェスコを生態学の聖者におしたい」と言った。

1979/11/29教皇ヨハネ・パウロ2世はフランチェスコを「エコロジストの守護聖人」と宣言した。

1990年、カルフォルニア大の環境倫理学の教授、ロデリック・ナッシュは「アミニズム破壊が自然搾取を生む」と指摘した。そして自然の権利という概念を提唱。資本主義を生んだキリスト教精神は自然を対象化し、自然を人間から切り離したと指摘。

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January 28, 2008

Rev. April 14, 2008


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