降下物は無主物か

2015年11月21日(土) NHK TVでシリーズ「東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ」を観た。これを制作した記者から連絡があったためである。やはり映像のインパクトは大きい。説得力ある。今後も継続したフォローアップ頑 張っていただきたいと思う。

これからは感想だが、結局、東電が「降下物は無主物でわれわれはその処分の責任はない」と裁判所で訴え、それを裁判所が認めてからボタンの掛け違いが生じ たように感ずる。

そもそも無主物に関する民法の規定は民法239条で所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。とか所有者のな い不動産は、国庫に帰属する。ということで全く関係のない法律でとぼけている。無理が通ればゴミは無主物とすればいいわけということになる。とんでもない こと。

これはモラルハザードの結果だろう。モラルのない社会はただ崩壊するのみではないのか?そういう意味で、この無主物の処理コストはすべて、国の部局である 環境省や地方自治体が実施するのではなく、東電が自身の責任と負担しで実施すべきものだろう。そして原発の電力の恩恵をうけた東京を中心とする消費者が電 力料金として負担するというスキームにしないとモラルは回復できないと思う。

モラルが崩壊した証拠に中間貯蔵地に国が指定した土地の地主が2500人で内14人からしか譲渡の承諾がとれていないという事態になっている。そういう 意味で東電の除染義務を免除した国の思惑は破綻している。

山口氏からは別の疑問が出された。「放射性降下物がこれだけ広範囲(半径250〜300キロメートル)に拡がっておりその直接・間接の被害を被っているの に、「再稼動」や「新設」可否の合意「権」が「地元にしか認められていない」というのは「行政権」の偏った行使ではないのか?」というものだ。ロシアはウクライナから武力でクリミア半島を奪ったが、電 力はウクライナから供給してもらっているという愚策をとった。結果は何者かが送電鉄塔を爆破するという事態になった。 東京都民はもし柏崎刈羽原発が一方的に地方の犠牲を強いて再稼働したときには、小説「原発ホアイトアウト」に描写されたようなシーンがありうることを予期しなけれ ばならないだろう。

国民「全体の」の安全のために「辺野古住民の民意は認めない」という政府論理と広域な国民の安全より、地元の利益や権利(地権)の尊重を優先する、という論理の併用は、ダブルスタンダードではないか?

環境省の直轄事業は全国の失業者(あの大阪の殺人者もいた)をあつめて普通のガーゼのマスクだけで砂塵の舞う中で、地表のゴミを集め袋詰めしているNHK の除染の映像にも驚いた。セシウムならいざしらず、通常の貫通力の強いガンマ線検出器ではみつからないベータ線を出すプルトニウムが溶けてマイクロビーズ 化した微粒子が肺にはいれば10年後に肺がんになるというのに無知なのか、またはそこに思いが至らないのか、思いは至ったのだが上から目線で無視したのか?ひどいものだ。

やはり害を与えた電力経営者は民法ではなく、刑法で裁かれるようにしないと文明国にはなれない。

Novemeber 23, 2015


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