参道入口の左右にそびえる2本のサワラの木。樹高30mを越える大木である。


丘陵の岩壁に掘られた古墳時代の横穴墓に、中世の磨崖仏が彫り込まれている。


弘法大師が彫ったと伝えられる高さ3.6mの和田大仏。


残念ながら凝灰質砂岩の風化が激しく、お顔の表情はよくわからない。


和田大仏及び横穴墓群には、約20基の横穴墓が築造されている。
 須賀川市(すかがわし)を流れる阿武隈川左岸の丘陵斜面、県道63号(古殿須賀川線)「大仏大橋」の高架道の下に「和田大仏及び横穴墓群」がある。市の観光スポットとして、それなりに賑やかなところかと思っていたが、微暗い杉林の中は思いのほか閑散としてひっそりとした静寂に包まれていた。

 和田大仏への参道入口に、まるで神社の門前に立つ門杉(かどすぎ)のように一対のサワラ(椹)の巨木が聳えている。このサワラは、室町時代の文安3年(1446)に妙林寺(須賀川市加治町3-5)の住職・明栄和尚が植えたものと伝えられており、推定樹齢は580年とされる。

◎◎◎
 福島県は大分県についで磨崖仏の多いところである。和田大仏及び横穴墓群は、古墳時代後期の7世紀頃につくられた横穴式の群集墓に、鎌倉時代になって磨崖仏が彫り込まれたもので、約20基の横穴墓を見ることができる。横穴墓を利用した岩屋には、大仏のほかにも6体の阿弥陀座像が浮き彫りにされおり「和田大仏及び横穴古墳群」として市の文化財に指定されている。

 横穴墓群の中央に鎮座する和田大仏の高さは約3.6m。大日如来座像といわれているが、岩質が凝灰質砂岩のため風化が激しく、像容・印相ともに定かでなく、阿弥陀如来とする説もある。
 伝説によると、この大仏は大同3年(808)弘法大師が諸国行脚のときに三鈷杵(さんこしょ)をもって彫ったと伝えられている。また、大仏の胸部が左右にわたってえぐり取られているのは、この部分の岩を削り、石粉を煮立てて飲むと、不思議と母乳の出が良くなるとの御利益が信じられてきたからで、地元はもとより遠くからも祈願に訪れていたという。

◎◎◎
 横穴墓とは、古墳時代後期に盛行した、丘陵斜面に横穴をうがって、亡くなった人を埋葬した墓のことで、単独で存在することは稀であり、おおむね複数からなる「横穴墓群」と呼ばれる遺跡群を形成している。東北地方の横穴墓は、宮城県と福島県に集中しており、福島県では海岸沿いの浜通り、阿武隈川沿いの中通り、会津盆地に三分される。

 当地に横穴墓が作られた時代は、現在の須賀川市岩瀬郡のあたりにあったとされる石背国造(いわせのくにのみやつこ)によって統治されていた。和田大仏の横穴墓群は、石背国造に関わりのある阿武隈川流域を支配していた族長墓と考えられている。

 類似の遺跡として、栃木県宇都宮市の「長岡百穴古墳」もご参照ください。

◎◎◎
2024年12月14日 撮影

和田大仏の前に置かれている正徳2年の石仏。



横穴墓を利用した岩屋には、大仏のほかにも6体の阿弥陀座像が浮き彫りにされている。