巨石のホームページ「私の東北巨石番付」で、「臼石葉山:コンセイ様」の存在を知り訪れてみたが、勘違いしてGoogleマップに表記されている飯舘村(いいだてむら)深谷鍛治内の葉山神社に行ってしまった。辿り着いて同名他社のまちがいに気づき、改めて探し回ること1時間余。目指すべき葉山神社は、西に約3.5km離れた臼石(うすいし)地区の「(有)濱田石材工業 加工場」(飯舘村臼石町385)の北側、臼石と深谷の地区境にある葉山(657m)の山裾にあった。
臼石の葉山神社には、神域の入口を示す朱塗りの鳥居があるだけで、社殿や祠もなく信仰の対象となる工作物は何も見られない。コンセイ様は鳥居をくぐり山中を100mほど登ったところにあるが、参道には倒木が迫り、一面落ち葉や枯れ枝に埋められており、まったく管理されていない廃道状態になっている。道案内がないこともあり、訪れる人はほとんどいないようだ。
神社や石に関する案内板もないので、地元でどのように呼ばれているのか分からない。後日、飯舘村役場に尋ねてみたが、役場でも石の名称は不明とのこと。巨石信仰にかかわる古い由緒をもつものと思われるが、伝承等が残されていないのは残念である。
「私の東北巨石番付」では、大関に次ぐ関脇の地位についている。私としてもこの番付に異存はない。とりあえず名称は「私の東北巨石番付」に倣って「臼石葉山のコンセイ様」としておこう。
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「ハヤマ」と呼ばれる地名や山は全国的に存在するが、なかでも東北地方、福島県内に横たわる阿武隈山地には、葉山・端山、羽山・早山・麓山(はやま)など「ハヤマ」と称する山が多く見られる。いずれも人里に近く、端麗な山容をした比較的標高の低い山で、山頂にハヤマ神社と称する小祠が祀られていることが多い。飯舘村にも臼石と深谷の境にある葉山のほかに、大倉地区の羽山(455m)、比曽地区の葉山(787m)と3つのハヤマが散見される。
古くより日本人は、死によって人の魂がいきなりはるか彼方(かなた)に旅立つのではなく、生前、家族と暮らしていた古里を望める小高い山の端(はし)っこ、つまり「端山」へと往(い)き、そこに一定期間(一説には33年、地方によっては50年)とどまり、死の穢れ(けがれ)が浄化された後、子孫を見守る祖霊神となって、より標高の高い奥山に旅立っていくと考えられていた。
また、先祖の仲間入りをした神は、春には「田の神」となって山から降りてきて、子孫の農作業を見守り、秋には再び山に帰っていくと信じられていた。里人にとっての「葉山の神」は、祖霊信仰と作神(さくがみ)信仰の両方の性格をあわせもつ、「産土神(うぶすながみ)」として信仰を集めてきたといえるだろう。
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臼石葉山の西側山麓にあるコンセイ様は、花崗岩の柱状節理によって生まれた男根状の自然石で、石の高さは同行者の身長から目算しておよそ5.6mほどと思われる(写真右)。実に堂々たる雄姿をもってそびえ立つその姿は、何か特別なモニュメントのように見える。
そもそもコンセイ様とは、男根に似た自然木や自然石を金精神(こんせいしん)として祀る性器崇拝の一種である。縄文時代中期の石棒にはじまり、農作物の豊穣、出産、葬送などにまつわる古層の神として、庶民生活の中に浸透し生き続けてきたとされている。
臼石地区では、2011年3月の東日本大震災でも倒れなかったこの石を、新たな観光スポットとして売り出したいと考えているようだが、ピーアールは現状足踏み状態で進んでいないという。
原発事故から14年が経過したが、飯舘村の避難者帰還率は25.9%(2024年5月)で、いまだに復興は道半ばである。コンセイ様周辺の整備には、なかなか手が回らないというのが現実だろうと思うが、古層の信仰がこのまま埋もれてしまうのは惜しいので、今後の整備に期待したい。
当サイトに登場する「コンセイ様」は以下のとおり。
※岩手県遠野市の「山崎のコンセイサマ」
※岩手県一関市の「千厩(せんまや)の夫婦石」
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2024年12月15日 撮影
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葉山神社のご神体と思われる自然石の金精様。 高さはおよそ5.6mと思われる。
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