白い鳥居が連なる幸神社の参道。


幸神社。名前に「幸」が付く縁起のいい神社として、子授け、安産、厄除けの神社として参拝者が訪れる。


拝殿に掲げられた幸神社の祭神。主祭神は猿田彦神。他に天忍穂耳命、活津彦根命、天津彦根命、天穂日命、
熊野くす日命、湍津姫命、田心姫命、市杵島姫命、加具土神、焼速男神、須佐男命が配祀されている。


境内社として祀られている瘧神への参道。


瑞垣の中に鎮座する瘧神。


瘧石の表面に、人の手によって刻まれた円形の線刻が見える。


 祓所(はらえど)の祓石。祓(はらい)をつかさどる神とされている。
 幸(こう)神社の鎮座する度会郡(わたらいぐん)玉城町(たまきちょう)積良(つむろ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の禰宜(ねぎ)職を代々世襲してきた荒木田氏(あらきだうじ)が蟠踞(ばんきょ)していた地域であった。玉城町内に点在する伊勢神宮の摂社10社・末社3社はすべて内宮のものであり、豊受大神宮(外宮)につながる摂末社は一つもない。

 また、「積良」は「つぶら」とも呼ばれ、古くは「津布良」「津不良」とも記されていた。「積良(つむろ)」の語源は、斎宮忌詞(いみことば)の「土群(つちむれ・つむら)」に由来すると考えられており、このあたりに荒木田氏の墳墓が多く散見することからついた地名であろう。伊勢地方地誌『神都名勝誌』(明治28年)にも、荒木田氏の祖先神崇拝の祭場について「右の積良谷の山宮祭場を荒木田氏祖先の墳墓なりと明記して居る」と記されている。

 今では忘れられた感のある「積良谷の山宮祭場」だが、ここには柳田國男(「山宮考」)や谷川健一(『日本の神々』)、岡谷公二氏(『伊勢と出雲』)など、敬愛すべき先達たちも訪れている。
 幸神社参拝の前に、ぜひとも山宮祭場の拝み所を見てみたいと思い、神社の南約800mの地点にある祭場が残る泉貢(せんぐ)池の堤までたどり着いたが、ここで私の神経痛の足が悲鳴をあげた。この池の周辺のどこかに小さな配石遺構の祭場があるはずだが、悲しいかなこれ以上は歩けない。祭場の探索は断念し、近くの津布良神社、朽羅(くちら)神社を巡り、今回の幸神社に到着した次第である。

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 幸神社の駐車場から白い鳥居が立ち並ぶ参道を歩き、こんもりとした森の中にはいる。周囲を木々に囲まれた境内の中で、ひと際目を引いたのが、吹き抜けの拝殿前に聳える2本の杉の木だった。樹齢は不明だが、社殿の建立時、もしくはその後に計画的に配され、植えられたものだろうか。まるで設(しつら)えられた巨大な門柱(もんちゅう)のように見える。

 当社の創建について、玉城町観光協会のホームページに「約300年前、ヒノキの老樹の元に猿田彦大神(さるたひこおおかみ)としてほこらをまつったことが神社のはじまり」とあり、三重県神社庁のホームページには「往古より当地に鎮座する」と記されている。
 両者の創建時期にはだいぶ開きがあるが、幸神社が、地元で「さいのかみ」と称されていることから、神社名は、道祖神の「塞(さい)の神」が「幸の神社」に一新されたものと考えられる。

 塞の神は、邪霊、悪鬼、疫神などをさえぎる神で、共同体から離れて他の土地に行く者を守る神、さらには旅の安全を守る「路傍の神」ともされている。
 当社の主祭神は猿田彦神で、他に天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)ほか11柱の神が配祀されている。猿田彦神は、天孫降臨の啓行(みちひらき)をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、塞の神と同一視されている。

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 当社の境内には、参道途中の鳥居の先にある「瘧神(おこりがみ)」と社殿左手の瑞垣の中にある「祓所(はらえど)」の2カ所に磐座が鎮座している。
 祓所は、主に神職が祭典や神事に先だち、罪穢(つみけがれ)を祓う修祓(しゅばつ)をおこない心身を清浄にする場所のことで、通常、祓所には黄泉(よみ)の国から帰還した伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が禊をしたときに化成した「祓所大神(はらえどのおおかみ)」が祀られている。瑞垣の中に置かれた祓石は、この神の依り代となるものだろう。

 瘧神の「オコリ」が、悪寒(おかん)や震えを発する病気のことを指すことから、子どものひきつけ、熱病、寝小便、癇癪(かんしゃく)などにご利益があるとされている。地元の伝承によると、その昔、道を拡張する際に掘り起こされたと伝えられる石で、粗雑にあつかう者には祟りをなすという。

 瘧石を撮影していて、石の表面に大きな円が刻まれていることに気がついた。円に中に梵字(ぼんじ)か何かが刻まれてないかと目を凝らしてみたが、それらしき線刻は判別できなかった。はて、この円相は何を意味しているのだろう。
 本来、自然崇拝にもとづく古神道系の磐座信仰では、自然石のもつ不動性、不変性が神聖感の根源となっている。ゆえに、石をみだりに加工することは、神を穢す行為とされている。線刻が見られる瘧石は、磐座信仰が仏教や道教的な民間信仰と習合したものではないかと思われるが、今となっては、解きがたい謎であろう。

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2022年6月26日 撮影


参道にある目神の祠。眼病にご利益があるとされている。


瘧神の案内板。