寄居(よりい)町の西部を流れる風布川(ふうっぷがわ)は、釜伏山(582m)の北面から湧き出る日本水(やまとみず)を水源に、約6km下流の荒川に注いでいる。川名は「風布=ふうっぷ」と読むが、地名(字)では「ふうぷ」と読む。
地名の由来については『角川日本地名大辞典』に、「アイヌ語「プ」(山・倉)に発し、風の山の意による」とあり、他にも風が白い布を引いたように見えるという景観説がある。
姥宮(とめみや)神社は、風布川が北西に向かい大きく蛇行する中流域の左岸に鎮座している。「姥(うば)」を「とめ」と読むのは、当社の祭神・石凝姥命(いしこりどめのみこと)の「どめ」が「とめ」に転訛したものだろう。
石凝姥命は、日本神話で天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れた際、天の香久山の金を用いて三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」を作った女神で、鏡作部(かがみつくりべ)の祖神とされている。
当地で石凝姥命が祀られているのは、708年(慶雲5年/和銅元年)に、ここからほど近い秩父市(秩父郡黒谷)で和銅(自然銅)が産出し、朝廷に献上されたことが関係していると思われる。
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当社は標高約190mの山里に鎮座する無人社である。社の周辺には緑が生い茂り、石段の横に樹高約30mの「夫婦杉」が2本並んでそそり立ち、社殿の横にもご神木の「富発(ふはつ)の杉」(推定樹齢 約400年)がそびえ立っている。
社殿の前には、狛犬ならぬ「狛ガエル」が置かれている。寄居町の広報によると、風布地区では、ヒキガエルのことを「ウバゲットク」といい「ウバ」の語呂合わせから、「カエル」が神使像に採用されたそうだ。
鳥居、社殿の造りも凝ったもので、なかなかの見応えがある。鳥居の貫(ぬき)には紗綾(さやがた)形の模様が施され、笠木は銅葺き。社号額には、唐破風(からはふ)の屋根が付けられている。
入母屋造(いりもやづくり)の拝殿には、千鳥破風(ちどりはふ)が設置され、縁側の脇障子(わきしょうじ)には、牛若丸の修行場などを描いた見事な彫り物が施されている。彩色もわずかに残っており、建立往時の荘厳な姿が忍ばれる。
道路沿いの明神鳥居の左に、注連縄が張られた石がある。由緒は記されていないが、これも神道における霊石の類ではないだろうか。また、石段を上っていった拝殿前の平地にも、地面から岩塊(写真下)の露頭が見られる。岩の表面に苔が付着しており、岩質を見分ける自信はないが、秩父・長瀞の岩畳で知られる緑色片岩のように思われる。
社域に境内社は2社見られるが、稲荷社ともう一つは判別できなかった。文化・文政期(1804〜1830年)に編まれた『新編武蔵風土記稿』には、姥宮神社の摂末社として、稲荷社、愛宕社・山王社・山神社・天王社の5社が列挙されている。これら5社は、生活に密着した多様なご利益をもつ神様であり、村の鎮守として必要とされたものだろう。
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見どころの多い神社だが、社殿後方の丘陵に上ってみると、そこには巨石が点在する岩場があり、多様な信仰をもった神社のイメージとは、違った趣が見えてくる。
岩場の中に「神潜りの岩穴」と呼ばれる胎内くぐりの岩穴と、岩が重なり合ってできた岩陰がある。
胎内くぐりには「くぐると疱瘡(ほうそう、天然痘)麻疹(ましん、はしか)に罹患することなし」と案内がある。
一方の、岩が重なり合ってできた岩陰には、2本の立ち木を利用した注連縄に、赤い紙垂(しで、注連縄や玉串・幣串などに付けて垂らす紙)が付けられており、岩陰の中に、赤い御幣(ごへい)が置かれている。
一般的に紙垂や御幣は白色が主流だが、赤い色は魔除け・厄除けに効果があると考えられていた。かつて疱瘡神は疫病神の代表格であり、疱瘡神退散の祈願には、すべてのものに赤色を用い、お札や御幣も赤紙を用いたという。
胎内くぐり前の注連縄は白い紙垂だが、ご利益を考えると、胎内くぐりと岩陰はセットで疱瘡神を祀ったものと思われる。
岩場には、巨石がゴロゴロと点在している。この岩場こそ、古くから神霊が宿る「磐座」として崇拝され、神社信仰の原点となる祭祀の場(祭祀遺跡)であったと思われる。
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2026年1月12日 撮影
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狛犬ならぬ「狛ガエル」が鎮座している。

社殿前の道路脇にある注連縄を巻かれた霊石。

鞍馬山「牛若丸の修行場」が彫られた拝殿の脇障子。
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