|
|

鳥居から一直線に伸びる白旗神社の参道。およそ100m余と思われる。

かつて社地周辺は鬱蒼と繁る木々に囲まれていたが、2022年1月に松くい虫被害によって伐採された。

背後の林のすぐ後方にレインボーラインが走っている。

巨石(磐座)の上に、自然石を積み上げた2基の多層塔が立ち、前方の石祠には「八獄権現」が祀られている。
土台石の前にある石祠は宝暦3年(1753)に建立されたもの。

5層に積み重ねられた平石の上に宝珠を模した丸い石が載せられている。
|
長野県から山梨県にまたがる八ヶ岳連峰の南麓は、美しい山並みが楽しめる別荘地、移住地として人気があり、のどかな田園風景の中におしゃれなカフェやレストラン、ペンションなどが点在している。
大泉町西井出地区を東西に走る「レインボーライン(八ヶ岳広域農道)」の南側。白旗神社のある一画は、つい最近まで鬱蒼とした森の中にあったが、令和4年(2022)1月に、レインボーライン側の東西約65m、甲川(かぶとがわ)に沿った南北約120mの範囲にある木々が伐採された。これによって、かつての薄暗い木陰にヒッソリと佇む神社から、明るい陽光が降り注ぐ空間にポツンと置き去りにされた神社へと変貌した。
伐採の理由は松くい虫の被害によるもので、参道及び社地付近に倒木の危険性が生じたため、安全確保と石塔や石祠(せきし)の保護を目的に行われたものという。伐採後、木々は新しく植え替えられたが、若木がかつてのような深い森の風情を取り戻すのは、40〜50年先になるだろう。
◎◎◎
鳥居から北に向かって一直線に伸びる100m余の参道を歩く。神社といっても社殿があるわけではない。その代わりとなっているのが、なにかのモニュメントのように見える、巨大な岩(磐座)の上に配置された2基の多層塔である。
横約2m余、奥行き約1.5m、高さ約1.2mほどの上部が平らな土台石の上に、表面が平らな自然石を置き、その上に4〜5個のこぶし大の石はのせ、これを5層に積み重ねたもので、頂部に宝珠を模した子どもの頭大の丸い石が置かれている。塔の高さは約1.2mほどである。
『大泉村誌』下巻〔1989年〕に記された伝承によると、この多層塔は昔、鬼が来て一夜のうちに建てたものといわれており、昔から数回の大地震に一度も崩れることなく、今に至っているとある。
案内板に「巨石のまわりを力強く踏むと太鼓をたたく音がする」とあるが、これは「社地の地下は空洞であって、この地点は往古の古墳の地ではないかと想像されている」という口承によるものだろう。
また、江戸時代の地誌『甲斐国志』(文化11年(1814)成立)に、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての甲斐源氏4代当主・逸見(へんみ)四郎有義(ありよし、武田有義とも)が、「平家の赤旗」に対してかかげた「源氏の白旗」を、この巨石の下に埋めた。という口碑が記されており、これが社名の由来とされている。
◎◎◎
当社の祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、天宇須女命(あめのうづめのみこと)の3柱とされている。武甕槌命は、甲斐源氏の逸見有義が、武神として崇めたことにより勧請(かんじょう)された神である。
一方で、『甲斐国志』には「又側ニ石祠ヲ立テ八ヵ岳權現ヲ祀ル卜云 又水神ノ祠 姥神ノ祠アリ」(また土台石の側に石祠を立て八ヶ岳権現を祀ると云う また水神の祠、姥神の祠あり)と記されている。これを読むと、土台石前の石祠には「八ヶ岳権現(やつがたけごんげん)」が祀られていると思われる。
八ヶ岳権現とは、八ヶ岳連峰の南部に聳える権現岳(ごんげんだけ、標高2715m)のことで、古くから甲斐国の信仰の山として知られる名山である。
当社の南約2kmの地点に鎮座する「八嶽(やつがたけ)神社」の祭神「八嶽権現(やつがたけごんげん)」は、岩石を司る女神・岩長姫命(いわながひめのみこと)と同一神とされている。当社も八ヶ岳信仰と深い関わりを持つ神社であることから、当地は八ヶ岳を拝むための遙拝所であったとも考えられる。
当社の石塔も、神仏習合の影響が強く反映されたものと考えられる。本来、多層塔(仏塔)は仏教寺院の境内に建てられるものである。明治初年(1868)の「神仏分離令」により、神社から仏教的要素を排除する動きが強まってきたが、当社の石塔は一般的な寺院の仏塔ではなく、「源氏の白旗」伝承に基づいた「記念碑(モニュメント)」と考えられ、取り壊されることなく残されたのではないだろうか。
◎◎◎
2026年3月1日 撮影
|

案内板。
|

裏側から見た白旗神社。
|
|
|
|