芦ノ沢集落と笠石大明神のある裏山の間に祀られている「一石六地蔵」の道祖神。


笠石大明神の明神鳥居。この鳥居をくぐり鬱蒼とした杉木立の中に入っていく。


笠石大明神の社殿。本殿を取り囲むように巨石が点在している。


石の前には小さな紙垂をたらした細い注連縄がめぐらされ、3つの石祠が安置されている。


石の上部が割れ、笠をかぶっているように見える。
 山梨市牧丘町の市街地から笛吹川の支流である鼓川(つづみがわ)に沿って県道206号線を西走し、西保中(にしほなか)の芦ノ沢(あしのさわ)集落に着いたが、朝からの小雨が急に激しくなって車から外に出られない。「笠石大明神社入口」の標柱の前に車を停めて、スマホの雨雲レーダーを眺めつつ小降りになるのを待つ。予測通り雨は1時間で小降りになった。雨ガッパを着て山中の笠石大明神に向かう。

 笠石大明神は、標柱の立つ集落の辻から約100m上った山の斜面に鎮座している。点在する民家群と裏山の間に、1つの石に6体の地蔵が並ぶ「一石六地蔵」が祀られていた。地蔵は本来、道祖神、さえのかみ、境の神のことであり、自村と異界の堺にあって外来の悪霊や疫病の侵入を防ぐものである。

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 神社の入口となる石の鳥居をくぐると、鬱蒼たる杉木立の木下闇に覆われて、あたりは一気に薄暗くなっていた。狭い境内には一間社流造り、檜皮葺(ひわだぶき)の本殿が覆屋(おおいや)の中に納められている。本殿の建立年代は、昭和45年の解体修理の際にも銘文等の発見はなく明らかでないが、全体の形式や組物の様式から室町時代後期につくられたものと考えられている。小規模で簡素な造りであるが、室町期の古様をとどめる貴重な遺構として県の文化財に指定されている。

 社殿の右手に、高さ2mほどの自然石の大石が鎮座している。ほぼ球形状の石の手前は縦に剥がれ落ちており、上部も割れて、頭に笠を載せたように見える。「笠石」の名はこの形状に由来するものだろう。

 石の前には小さな紙垂(しで)をたらした細い注連縄がめぐらされ、3つの石祠(せきし)が安置されている。祠は神社の本殿を模した流造りで、屋根に千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)がのせられている。また、3つの祠の左には、かつて置かれていたと思われる崩れた石祠が残されている。

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 当社の祭神には、天照大神と鎌倉時代にこの地域の領主であった安田義定(1134-1194)が祀られている。義定(よしさだ)は甲斐源氏の初代当主・源義光の孫で、源清光の子(清光の父・義清の子とする説もある)。甲斐源氏の一族は平安時代の後期に甲府盆地の各地に進出し土着した。当社の東方約1kmの地点にある西保下地区の小田野山(882m)は義定の要害山であったとの伝承をもつ。

 笠石大明神社の創建は不詳だが、神社名の由来となった「笠石」が当社の起こりであることはまちがいないだろう。最初から現在のような社殿があったわけではない。当地は古来より「山の神」が降臨する磐座として祀られたもので、神聖なる場所であった。社殿の建立は室町時代末期、甲斐源氏・安田義定の関係者によるものと考えられる。

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2024年8月25日 撮影


芦ノ沢集落にある「笠石大明神社入口」の標柱。
ここからは道案内の矢印とおりに進めば良い。

案内板。